YTAメモ

20世紀を生き抜くための「心」・「技」・「体」その4

1995年4月29日

  

「体」の1.篠原佳年医師のセミナー(5月18日:京都)から

a.救急病院の医師を勤めていた頃、危篤状態に陥った患者に対し病院が行う処置はいつもきまって心臓マッサージであった。心臓は生まれてから死ぬまで休みなく動く臓器であり、心臓の止まった時が死ぬときという考え方からすれば、マッサージをして再び生き返らせようと試みることは医者として自然な行為かもしれない。

b.しかし、いくら心臓マッサージをしても人は生き返らない。ところが、患者に管を通して息を吹き込んでやる(肺に空気をいれる)と心臓が勝手に動き出すという経験を何度もしている。

c.心臓は不随意神経にコントロールされているから外部から力を加えてもコントロールできるものではない。呼吸は不随意神経と随意神経の二重支配を受けているから不随意神経が機能する「呼び水」としての役割を果たすかも知れない。

d.「救急のABC」というのがあり、Aはエアーウェイ(air way)「息をするところをあけなさい」Bはブリージング(breathing)「息をさせなさい」Cはサーキュレーション(circulation)「循環(血液の)をさせなさい」である。

e.もう一つ見落とされているが重要なポイントは血液のPH(ペーハー)で正常値から大きくはずれると生命活動の維持ができなくなる。PHを正常に保つために人間の体は酸を尿として排泄し、あるいは呼吸で酸を外へ出そうとしている。人間の老廃物はオシッコと呼吸を通じて排泄される(糞は食物が口から肛門まで一本の長い管の中を通って出てきた残滓で生命活動の老廃物ではない)。病人のオシッコが出なくなっていたとして、そのことに誰も気がつかなかったら病人の呼吸が荒いのは酸素が足りないというより身体の中に溜まっている老廃物(酸)を一生懸命外へ出そうとして呼吸が激しく(荒く)なっていると考えられる。

f.病人の息が荒いのを見て、「死にそうな息をしていて、苦しそうです。早く楽にしてあげて下さい。」そこで、必要のない酸素吸入をし、いっしょうけんめい(酸)を出そうとしているのを鎮静剤の注射をしておさえてしまう。家族は「やっと落ちついた。穏やかな顔になった」と喜んでいるが、翌日帰らぬ人になった、という経験をいくつもしている。そしてそのことで誰も疑問を抱かない。

 「体」の2.中村菌化学研究所(6月17日金城同為会研修旅行:京都)から

a.酒蔵で働いている人はなぜか風邪をひかない、ひいてもすぐになおる。やけどをしても早く治る、ケガをしても化膿しない。これは日本酒を作る菌に身体を治す力があるのではないか、とのヒントを得て「ユナルゲン」(癒成元=よくなるもと)「ユナホルモン」という薬を昭和16年、開発した。

b.作っているのは飲み薬の(1)Aユナルゲン(気管支喘息・感冒・鎮咳去痰・強壮)(2)ユナルゲンB(身体諸機能の増進・腺病質の改善薬)塗り薬の(3)ユナホルモン(肺炎・やけど・水虫・皮膚炎等)(4)ユナジュ-ム(歯痛用)の4種類。よく売れているのは(2)と(3)。

c.(1)は酒粕がはいって(2)より飲みやすい。歌手の島倉千代子が若い頃、声が出なくなったときに使ってよくなったという。

d.(2)は身体の働きをよくして病気を治す、というもので急性中毒の場合は飲む量を増やしてよい 。昭和43年に107才で他界した元清水寺管長の大西良慶和上が丹毒の中毒の時に助かり以後、愛飲者になられた。

e.(3)は肺炎の時患部を温湿布したり、火傷や水虫に直接ぬってつかう。液体のためガ-ゼ、脱脂綿等に浸して患部にあててつかう。身近な使用例として、虫刺されで「おたふく風邪」のように頬が腫れてしまっていたのが(3)をティッシュに浸して患部に貼り一晩寝たら腫れがほとんどなくなった。私個人の使い方として花粉症と疲れ目で医者通いを毎年していたのが夜寝る前に(3)をティッシュに浸して瞼の上にのせて寝ていたら翌朝は楽になった(完治したわけではないが症状が軽かった)。 患部にティッシュをのせてしばらくすると患部が暖かく(痛い?)なってくるがそのうちにおさまってくる。疲れ目でも何でもないときに(3)をぬっても暖かくはならない。(2)との併用がコツかもしれない。

f.オレンジの青かびからペニシリンが発見されたのが1928年(昭和3年)。それから13年後にこの薬は開発されている。当時の医学水準からみて画期的な発見であったと考えられる(戦後進駐軍が見学にきた時の記録や見学者からの礼状が多数残されている)。菌から作った薬が認可されているのは珍しく、また副作用が全くないという薬も珍しい(抗生物質を使った薬は使い方で副作用がでる)。

d.見学当日はバスの停車位置から会社まで旗をもって案内して頂き、30名ほどの社員全員が玄関口に並んで出迎えていただいた。中村宇太郎社長の話に「無財の七施」という言葉があり、それを社員全員がキチンと実践している、という印象を受けた。

h.中村菌化学研究所を見学して帰ろうとした時、ちょうど刷り上がったばかりの船井幸雄先生の講演録が届き、社長も目を通していない書籍(1995.4.8於:先斗町歌舞練場)を参加者全員がいただいた。到着と同時に見学者に配られた会社の奉仕の心に感謝。初配布の受贈者になった金城同為会の運のよさに感謝。

「心」梶原四郎のトップインタビュ-「島崎社長 嶋崎洋子」ラジオ短波セミナ-テ-プ(95年5月号)より

a.長年専業主婦を務めていたが、夫との離婚、創業社長の父親の急逝により経営について何も知らないまま社長に就任。取引先や従業員を信頼して会社を運営するしかない、という人のよさで会社を経営した。

b.自分は何もわからないから人に任せるしかなかった、とのことであるが研修と名のつくものには積極的に参加しており、工場の海外進出にあたっては中国ではなくベトナムにする(島崎はランジェリ-、ファンデ-ションの製造メ-カ-であるが中国製は日本人と感性が違うからあわない、ベトナムは日本の下着の感性が同じだから進出する)など経営者として大事なツボはおさえている。

c.「私は人に恵まれて運がよかった。力はなかったけれど・・」という言葉が出てくる。「運も実力のうち」という言葉があるが、逆説的に言えば「才能がある」あるいは「他の人より辛抱強く努力する」ことの出来る能力がその人に備わっているのはその人の「運」と見ることもできるのではないだろうか。めぐり合わせも、才能・能力も努力する環境も全て「運」と考えれば「感謝」するしかないのではないだろうか。プラス発想をする上で気づかせていただいた言葉なので紹介してみました。

「技」東日本ハウス会長:中村功「注目の人づくり経営-超高収益体制の実際1」ラジオ短波セミナ-(95年5月号)より

a.1968年、独立して注文住宅東日本ハウスを設立。金も信用もない会社のため住宅建築の仕事を受けても手付けをもらおうとする段階で断られてしまった。信用がないので業者にお金を渡さないと仕事にとりかかってもらえない。お金がないので発注者から手付け金をもらわないと業者に払えない。発注者は仕事もしないうちからお金は払えない、と信用してもらえず契約がお流れになってしまう。

b.発注者に信用してもらうため、5分前到着主義と端数時間の指定(例えば5時8分とか8時37分とかを訪問時間にした)を実施した。時間を必ず守る、ということでお客様の信用を得、端数時間を信用獲得の話の糸口にした(お客様の方からなぜ半端な時間設定をするのか必ず聞いてくるのでお金も信用もないがこちらの窮状を話し、「どうか信用して家を建てさせて下さい。誠心誠意努めます。」と訴えた。

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