20世紀を生き抜くための「心」・「技」・「体」その35
はじめに
「心」川村則行著「プラス思考だけじゃだめなんだ!」(1999.2.1初版:サンマーク出版1,500円+税)より
「体」米山公大著「人間はどうやって死んでいくのか」(1999.2.1第1刷:青春出版社1400円+税)より
「技」永田照喜治著「美味しさの力」(1998.10.29第1版:PHP研究所1429円+税)より
「はじめに」
★ 6月11-12日で金城同為会の研修旅行で高野山に行って来ました。櫻池院(ようちいん:最初は養智院と書いた)という宿坊に泊まり、翌朝、副住職による護摩祈祷のお勤めを見学(?)しました。護摩祈祷がどのように行われるか、といったことは宿坊に泊まって早朝参加しないと体験できません。書物や映像を通して伝えられるものではありません。仮にあったとしても簡単に入手できるものではありません。どうしてか、といえば見よう見まねで素人が護摩祈祷をして事故が起きる危険性があるからだと思われます。YTAメモその34で「思い(信念)は実現する、について」書きましたが、護摩木に書かれる「家内安全」「病気平癒」「良縁成就」などいずれも願望実現のための加持祈祷といえます。密教の護摩行の効果はそれなりの理論づけができるようです。氣の達人の矢山利彦氏によれば密教の法具である金剛杵(独鈷、三鈷、五鈷)には氣を集めるアンテナのような働きがあるそうです。ピラミッドパワ-という現象があり、ピラミッドの中に入れたものが腐りにくくなったり、中にカミソリの刃を入れておくと切れ味が戻ったりするといわれています。金剛杵の先端もピラミッドのように尖っており、その形状がパワ-を集めると思われます。氣のエネルギ-を金剛杵に集めて出しながら願望を唱えるのだからその願望は実現しやすいと思います。
ところで矢山氏は独鈷を治療の補助道具として使ってみました。はじめは調子がよかったのですが、そのうち疲れる人が続出しました。独鈷はまわりの氣も集めるのですが使う人の氣まで集めてしまいます。つまり、使う人の氣が足りなくなって元気がなくなります。ところがヨガや気功を習ったり、密教の修行を積んだ人はチャクラが開いており、そこから氣が入ってくるので自分の氣を取られても疲れません。むしろ、氣の流が良くなってチャクラも活性化します。独鈷より三鈷、三鈷より五鈷の方が集める力が強いが、あつかう人間の氣を吸いとる力も強いので密教ではよほど修行を積まないとあつかわせないようです。なお、密教では手に印を組みます。手指の先は氣のアンテナとしてはたらくようで、いろいろな印には氣エネルギ-をコントロ-ルする効果があるようです(矢山利彦「続気の人間学」ビジネス社より)。護摩祈祷では護摩木を扇状に広げて持つと真言を唱え、護摩壇に結界の形に並べます。火を焚き、袈裟下で印を組み、金剛杵を使い真言を唱え、経を読みます。どういう手順だったか覚えていませんが、最後に下賜する「おふだ」で護摩火を切り、はらっていたのが印象に残りました。私には霊験あらたかな「おふだ」に見えました。
「心」川村則行著「プラス思考だけじゃだめなんだ!」(1999.2.1初版:サンマーク出版1,500円+税)
★a.100メートル走のゴールド・メダリストとして有名なカール・ルイス選手は、80メートル付近になると意識的に笑顔を作ったという。笑顔になると全身がリラックスして好成績がでるためだった(p42-43)
★b.人は脳のなかに「報酬系」と「罰系」と呼ばれる神経領域をもっている。前者は人が生きていることの「快感」を感じる神経領域、後者は生きていることの「不快」を感じる神経領域である。この報酬系と罰系は、人のからだの健康に深く関わっており、報酬系が刺激を受ければ、人のからだはいい影響を受けて元気になる。逆に罰系が刺激を受ければ人のからだは悪い影響を受けてストレスがかかり、重くなれば病気になる(p21)。
★c.「最近きれいになったね」などといわれ、ますますきれいになる女性は多い。なぜ彼女たちが美しくなるのか。それはほめられることによって、彼女たちの報酬系が刺激されるからである。報酬系が刺激されると、からだの一個一個の細胞は元気になる。古い細胞は分裂し、新しい細胞にとって変わるという新陳代謝が行われ、肌は実際に美しくなる。細胞に元気がないと新陳代謝はスムーズにいかず、古い細胞がいつまでも残ることになる(p61)。
★d.報酬系が刺激されると心身ともに平穏となり、リラックスしてくる。このとき脳の思考回路や記憶回路に障害を与える邪魔物がいない。従って情報伝達がスムーズに行われ、新しい情報がすんなり消化されたり、記憶回路に届く体勢ができている。反対に、怒られるなどして、脳のなかの罰系が刺激されると、どうしてできないんだろう、自分はだめなヤツだ、などという思いが思考回路の邪魔物をし情報がうまく処理されないという事態になる(p63)。
★e.そうすると、報酬系を刺激するため何でもプラス思考しようという考えが出てくる。しかし、自分という基準を抜きにして、強引にプラス思考をしても報酬系は刺激されない。自分が本当に気持ちいいと思えるか、自分が楽しいと感じられるか、自分が心からいいと思えるかが大事である(p50)。
★f.また、現代は罰系を刺激するようなことが世のなかにはあふれている。こういう時代には、プラス思考だけでは対応しきれない部分がでてくる。そこで大事なのが、「弱い自分を認める」という一見マイナス思考に見える考え方である。実は「自分の弱さを認めてしまうこと」は報酬系を刺激する方法のひとつ、かつもっとも重要な方法である。プラス思考が報酬系を刺激する場合ももちろんある。けれど、どんな場合にもプラス思考が報酬系を刺激するとは限らない。「自分は弱い」といつも心のどこかにとどめておく必要がある。突然の企業倒産による解雇のように、自分ではどうにもしようがないことが起きる時代だ。どんな問題や修羅場もプラス思考で乗り切ろうとするのは無理があるし、そのことが逆に罰系を刺激し、からだにはかえって悪影響を及ぼすことがあるからだ(p22-23)。
★g.仕事もからだも調子のいいときなら、多少自分を高く評価してもかまわない。その自信がかえっていい結果につながることもある。だが仕事で失敗したとき、思うように進まないときには逆効果になることが多い。かえって、「ああ、だめだ」と認めてしまったほうが楽になることが多い。いちばん苦しい局面のときに、いったん自分の価値を自分自身で下げてしまえばいい。自分自身と戦ってしまう人は、このとき「俺はそんなに価値の低い人間じゃない」と突っ張るから、余計ぐちゃぐちゃになるのだ。いったん「俺はだめだ」と開き直れれば、「だめな俺」を起点にして柔軟な対応が取れるようになるはずだ。自分の価値を下げて、心もからだももち直したら、そこからまた自分の価値を高める努力をすればいい。人生は、休む暇が惜しいほど短いとは思わない。
★h.私たちはいろいろなものに支えられて生きている。親や兄弟、子ども、友人などの親しい人たち、上司同僚、近所の人、また会社や学校、自治体、町内会、社会福祉など。ときには、映画や小説の主人公の生き方や考え、バラエティ番組のお笑いタレントのギャグが支えになったりもする。人は、自分がだれかによって、何かによって支えられているのだと気づけば、謙虚になれる。自分の弱さやはかなさに気づくことができる(p165)。
★i.人から愛される経験は非常に重要である。とくに幼いころに愛されるという経験は、人間のもっとも基本の部分を形成する。人から深く愛されるという経験、愛されているという実感のある体験をもつことはその人を強くさせる。愛されたという実感は自分に自信をもたせるし、人への信用をもてるようになる。親でなくてもかまわない、だれかに強く愛された経験をもつ子どもは、のちにつらい体験をしたとしてもちょっとのことでは深くは傷つかないし、揺るがない部分がある。それは、報酬系が刺激される幅が広がるということだ。だから報酬系の感度を高めるためにも、人に愛される経験をもったほうがいいのである(p68-69)。
★j.脚本家の山田太一氏が、人生においてマイナスなことに出合ったときにはつらいが、長い目で見るとプラスになっていることは意外と多い。だからあえて「プラスのカード」をそろえようとはしなくなったし人生は自分の手にはおえないという思いもある、と語っている。自分で「解決できない」し「認識できない」問題を抱えていたとしても、長い目で見ればプラスに転じることもあるかもしれないのだ(p189)
★k.人は基本的に、同時に複数のことを考えられない。悩んでいるときには、不安や不満などが頭のなかを渦巻いている。このようなときはスポーツなど全身全霊を打ち込める何かをやる。これがたとえば本を読む、映画を見るなどの肉体を使わない受動的な行動だと、かえって頭のなかでいろいろと考えてしまい、心のなかに不安や不満がわき上がってきてしまう。だから、全身を使い神経を集中させるようなスポーツが、不安や不満を一時的にでも取り除くのにもっとも効果的である。
★l.イライラしてどうしようもないとき、不安で眠れなくなつたときなどに、気分を落ち着かせる呼吸法がある。それは、「3秒吸って7秒吐く」という方法だ。吐くほうに全力をつくして、吐き切ったら3秒吸う。こういうリズムで丹田呼吸するのだ。この呼吸法を1日3回、5分ずつくらい行っていくと、不思議なほどからだがリラックスした状態になる。慣れてくると数回「3秒吸って7秒吐く」を繰り返しただけで、からだがゆったりとしてくる。カッカッと頭に血がのぼっていた人は、それが抑えられて肩の力が和らぎ、からだが静かになるのを感じる。
★m.このように、たとえ現実には自分の不安の原因が根本的には解決されていなくても、能動的な気分転換や呼吸法で、罰系への刺激を断ち切ることができる。からだはリラックスできる。悪い方向へ考えがちな思考回路をいったんクリアにして、冷静にものごとを考えられるようになる。罰系を刺激されたまま突き進むよりも、一度からだをリラックスさせたほうが、問題解決への近道になるはずだ(p202-204)。
「体」米山公大著「人間はどうやって死んでいくのか」(1999.2.1第1刷:青春出版社1400円+税)
★a.巻末に「死を招く病気・症状別索引」があり、187項目の病気、症状、病気以外の死因等が掲載されている。本書では人はどのようにして亡くなるのか、人が死に至る過程を具体的に紹介する。死をただ単に恐れるのではなく、科学的に考えるなかで「死」の持つ意味を考えようとしている。
★b.厚生省の平成9年の人口動態統計によれば死因の第1位はガンなどの悪性新生物で全体の30.2%、第2位心疾患15.3%、第3位脳血管疾患15.2%、第4位肺炎8.6%、第5位不慮の事故4.3%、第6位自殺2.6%、第7位老衰2.3%、以下腎不全、肝疾患、糖尿病とつづく。ちなみに全死亡者数は913,402人である(p19)。
★c.死亡統計は医師が書く死亡診断書の(ア)直接原因を集計したものである。平成7年から死亡診断書には「疾患終末期の状態としての心不全、呼吸不全は書かないように」という注意書きが入り、脳血管疾患が死因の第2位になったことがある(p17.p101)。
★d.人間の細胞の遺伝子には死のプログラムが組み込まれており、これをアポト-シスという(ギリシャ語で花びらや木の葉が散るという意味)。アポト-シスは周囲の細胞とは関係なく、自分一人だけで、細胞の一部がくびれたように粉々に壊れていく。また、人間の細胞を取り出し、細胞培養していくと、いくら栄養液をとりかえても約50回の分裂が終わると、それ以上細胞分裂をしなくなる。これを発見者の名前をとって「ヘイフリック限界」と呼ぶ。例外もある。ヘンリエッタ・ラックスという人の子宮ガンの細胞は非常に増殖力が強く、いくら培養してもアポト-シスを起こさなかった。原始的単細胞生物と同じようにほかの培地にたった1個でも混じるとどんどん増殖してしまう細胞で、アポト-シスのスイッチが壊れて しまった状態と考えられる。人間もアポト-シスのスイッチを切れば無限に生き続ける可能性があるともいえる(p186-190)。
★e.生物は有性生殖をするころから寿命に限界を持つようになってきた。セックスは遺伝子どうしを組み合わせて変化をつける(多様性をもたせる)ための作業であり、それは環境へ適応して生き残るチャンスが多くなることでもある。生命論的にいえば、我々はもともと無限の命を保証されて存在してきたのではなく、多様性のある遺伝子の継承という使命を負った生命の器だといえる(p190-191)。
★f.医者はいままで生き続けることだけを医療の目的としてきた。医学部の授業でも死についての講義はなく、それを学問として論じる教授もいなかった。死は医学が敗北した結果だと考え、死について考えることを避けてきた。一般の人が死を避けてきたのは、死への恐怖であった。しかし、死を生物学的にとらえれば、死はけっして否定的な意味だけでないことがわかり、死への余計な恐怖を取り去ることができる(p192-193)。
★g.遺伝子には、ただ生き残れる遺伝子を作り出すということしか目的にない。遺伝子からみれば、肉体は有性生殖をした段階(20代)で存在意味がなくなる。ところが子供を作ったところでアポト-シスは機能せず、それからの人生が3倍近くある。これは人類が文化・文明の蓄積と継承という遺伝子以外の次の世代に伝える方法を作り出したことによる。あるいは遺伝子に心はなく、人間に心があるからこそ80歳を過ぎても生きることに意味を見いだせるようになってきたのかもしれない(p230.p229.p221.p224-225)。
★h.人間のからだにはCYP3A4という薬を代謝する酵素があり、グレープフルーツにはこの働きを鈍らせる効果がある。薬の作用が強くでて、薬をたくさん飲んだのと同じになってしまう。例えば高脂血症の薬1錠をグレープフルーツジュース1杯で飲むといっぺんに12錠を水1杯で飲んだことと同じになるという。薬によっては脳の循環障害や心臓停止といった副作用がでる可能性がある。グレープフルーツの効果は24時間も持続するので薬を飲んでいるときは飲まない方がよい。なお、オレンジジュースやグレー プジュースなどほかのジュースは問題ない(p57)。
★i.肺炎は、感染症の中でも代表的なもので陰の死因ナンバー1といえる。気管支などには繊毛と呼ばれるごく小さな毛が生えていて痰などを外へ運び出す作用があるが肺胞にはこれがない。だから肺胞の中で細菌が繁殖し始めるとなかなか直らない。肺胞の細胞が異物を取り込んで分解・除去しない限りもとの状態に戻らない。あらゆる病気の終末は、体力、免疫力の低下から細菌に侵される危険が高い。従って肺炎を併発してそちらで亡くなるといったことが多い(p58-59.p64)。
「技」永田照喜治著「美味しさの力」(1998.10.29第1版:PHP研究所1429円+税)
★a.本屋に平積みされて売られていた時、本の表紙に写されていたうぶ毛の生えたトマトが目をひいた。手にとってページを繰ると口絵写真があり、茎や実の表面に白いウブ毛の生えたトマトやヘタのところにトゲの生えたナスが写っている。
★b.写真に添えられた解説文によれば、原産地のアンデス(カラカラに乾いている)に近い条件でトマトを育てると空気中の水分を吸おうとして死にもの狂いになり、茎や実にウブ毛が生えるという。ナスのトゲも同じ理由であり、空気中の水分をできるだけ摂取しようとする植物の力強い生命力の現われである。
★c.同じく口絵写真によれば、そのようなトマトは水に沈む。市販のトマトは組織が密につまっていないため大概浮いてしまう。永田氏のトマトは根がっしり張っていて葉も茎も元気な株なので実が熟れてから収穫しても枯れないが、ふつうのトマトは持ちこたえられず、枯れ熟れになってしまう。しかも、収穫してからの日持ちも違う。オランダにある世界最大、16ヘクタールの巨大温室で作られるヨーロッパ輸出用トマトは糖度が3度にも満たないと思われるまだ青い色をした未熟なトマトである。カリフォルニアにあるトマト農場では青いトマトをダァーッと機械で摘み取ってしまう。たまに赤いのが混じると、潰れて他のトマトを汚しかねないから手作業ではずす。そのかたいトマトにエチレンガスを吹きかけ、赤く色づけされて出荷される。ふつうトマトの糖度としては3~4度までであるが、永田氏は7度のものを作り、現在では9度~12度のものが作れるという(p50-51.p179-181.p104-105.p60)。30数年前、家でトマトやナスを作っていました。その時のトマトの実や茎、葉にもウブ毛が生えていたし、ナスのへたにはトゲがあったように思います。そのころ親戚の歯医者さんのところで初めて青いトマトを食べました。b.c.の説明からいえば家のトマトの方が美味しいことになりますが、店で「売っている」ぐらいだから家で作ったものより美味しいに違いない、と思い込んでいました。もしウブ毛が生えたままのトマトと赤く色づいてきたトマトがあったら、きっと見た目のよい後者を選ぶと思います。まっかすぎるトマトもすぐに傷みそうだと敬遠するでしょう。ウブ毛や枯れ熟れの意味がわかるようになれば、もっと賢い消費者になれると思います。
★d.野菜がまずいと感じる時は、その食べ物が苦かったり、渋かったり、えぐかったりする。アク抜きという言葉が日常化しているため、野菜にアクがあるのは当然と思っているが、それは間違いである。植物が何かの原因で代謝異常を起こし、苦しまぎれに生み出すものがアクで、まともに育てばアクは出ない。
★e.代謝異常を起こす原因は水と肥料のやりすぎ、植物の側からすれば過剰摂取である。根が養分を過剰に摂りすぎると、やがて根は傷んで、実が熟する前に腐った状態になる。そこで、代謝がうまくできない野菜たちはアクやえぐみという形で異常な物質を出さざるを得なくなる(p72-74.p47)。
★f.花粉症の原因となる杉花粉も代謝異常を起こしていると考えられる。元々杉は無肥料な山で育つように形質が決まっている。その杉が平地の畑や休耕田といった(杉からいえば)富栄養な土地に植えられると代謝異常を起こし、生き残るために苦しまぎれに有害物質を含んだ大量の花粉を撒き散らすことになる。やせた山の畑の産物であるソバも過肥料の畑で栽培すると代謝異常を起こす。そういうそばを食べると中毒症状やアレルギーを起こし、ひどい場合命を落とすことになる。茎が真っ赤に色づき丈の低いソバは安全だが、茎が緑で背の高いソバは危険信号である(p223-224)。
★g.肥料のやりすぎを避けるため、永田氏は液肥を活用する。液肥なら根を傷めないよう薄めることができる。液肥ははやりの有機肥料にこだわらず化学肥料も使う。有機肥料は安全、無機(化学)肥料は危険というイメージが定着しつつあるが、植物は有機物をそのまま自分の体内に取り入れることはできない。微生物が有機物を分解して窒素・リン酸・カリといった無機物にして初めて養分として吸収される。植物からいえば有機肥料にこだわる必要性がない。たしかに、有機肥料は植物、動物、微生物という自然界のサイクルに逆らわない正しい方法かもしれない。しかし、有機肥料を使う上で一番大切なことは気長にじっくり熟成させることである。1年から2年、時には3年待つ覚悟がいる。永田氏は人間の下肥が完熟したかどうか判断する時は肥溜めに臭いがしなくなって、指でじっさいになめて舌に刺激が残らなくなったらOKということにしていた(p42.p91-93.p95)。
赤峰勝人「ニンジンから宇宙へ」によれば「有機」を一言で言えば太陽の光(エネルギー)だという。葉緑素が光エネルギーを吸収し、無機物から生き物が利用できる形の有機物を合成することを光合成といういいかえれば有機物は太陽の光のエネルギーパックであり、植物も、動物も、人間も、微生物も、地球上に住む全生物の源がみんな元をたどれば太陽の光である。地球上に住む生き物は、光合成によって植物の体内に貯蔵された光が、無くなるまで食べつづける。食べ物からエネルギーをとって残りを糞として排泄する。糞の中に太陽エネルギーが沢山残っているのでウジ虫が糞を食べ尽くす。ウジ虫が出した糞の中にも太陽エネルギーが残っており、カビ(微生物)が食べて完全に太陽エネルギーが無くなった時に無機となって土に返る。再び水と合体して植物の体内に入り、光合成によってエネルギーとなり、動物の食べ物となって循環していく(p232-234)。
★h.旬の野菜といえば露地ものでビニールハウスものなど対象外というのが一般的な考え方である。ところが旬の定義を「よく熟して味のもっともよい時」とするならむしろハウス栽培をしないとうまくできない野菜の方が多い。というのは日本原産の作物はほとんどなく、野菜や果物たちは日本でそれぞれにぴったりの季節、気候を迎えることができず、皆少しずつ無理を強いられて育っている。トマトの旬はアンデスの高山地帯の乾いた夏であり、湿度が高くて雨の多い日本で露地栽培をすれば水分過多になってしまう。ハウス栽培にすれば雨よけになる。また、朝夕ハウス内に霧が発生するが、永田氏は水も肥料も必要最低限しか与えないため、これがトマトにとって貴重な水分供給源となる。こうした状況でトマトを育てるとなぜか旨みが増すという(p47-48.p38-39.p42)。
★i.今後の日本農業を支える柱として永田氏は、巨大温室などの大規模農業と市民農園のシステムであると考えている。前者が農業の生産性を担い、後者が日本の生活文化を支えていく。市民農園先進国のドイツでは農業生産物の3分の1強を市民農園で生産しており、農業の教育カリキュラム(期間1年のマイスターコース、4ヶ月の短期コース、1週間の見習いコースがある)も充実している(第4章)。