占いについて考える「技」簿記はギブ&テイクで理解する-その2
占いについて考える。
★*いわゆる「占い」と経営について経営コンサルタントの船井幸雄氏はこう述べている。
経営者というのは最後の意志決定のときに相談する神様(?)や易者がいる。80%ぐらいの人が相談をしている。船井総研をはじめた頃、船井幸雄氏がこれが絶対いいと思ってアドバイスをしても違うことをする経営者が半分以上いる。どうしてこんなことをしたのか問いつめると、実は相談する神様(?)がいて、神様(?)がこの方がいいとおっしゃったから、という答えがかえってくる。船井氏は、神様(?)や易者に会わせることをコンサルタントを引き受ける条件にして2年間に100人ほどの神様たちに会った。最初はわからなかったが何人も会っているうちに神様たちを説得するのがうまくなった。(船井・本山博・青木宏之「超人鼎談 気の人間 気の人生 気の経営」1992.3.12東洋経済新報社p64-66)
*占いというと、何か胡散臭いもの、非科学的と思う反面「よくあたる」という評判(実績)になぜか納得することがある。なぜ占いが当たるのか、について納得させられた本がありましたので、抜き書きのかたちでご紹介します。藤巻一保著「占いの宇宙誌」2001年2月9日第1刷り:原書房1600円+税より
★占いの過程で易者が行っているのは、卦という形で提示された多様な情報のなかから、彼の経験、主観、直観というフィルターを通過した情報を選択的に引き出す作業である。
卦それ自体は情報の貯蔵庫、メモリーバンクにすぎない。そこからどんな情報を引き出してくるかは、あくまで易者の心の働きに従っている。p128-129
★「易経」では、この心の働きのことを「鬼神」と呼んでいる。自分を無にすることにより、鬼神が感応して、まず占いたいことと照応する配置の卦を顕わにし、次に鬼神の導きで、その配置が意味するところへと、占者を導いてくれると考えたのである。易の達人にとっては、卦は、“偶然”そこに現れるのではなく、まさに現れるべくして現れ、情報も、現れるべくして現れ、見えるべくして見えてくる。したがって卦が、「現れるべ くして現れる」ことを理解しないもの、あるいは理解していても、「現れるべくして現れる」状態に自分の意識を運んでいけない者には、鬼神は感通しないと彼らは主張する。p129-130
★易聖、呑象・高島嘉右衛門は、「高島易断」の中で、「もし、筮竹をさばいている間に毛筋ほどでも妄念を差し挾むことがあったならば、たとえ『易経』に則って、いかほど厳密に卦を求めたとしても、鬼神が感通することは期待できないであろう」(大意)と述べている。こうした心理状態こそが、実際に卦を「現れるべくして現れる」ものにするための条件なのである。このことは、易占という作業の本質が、実は意識的な作業にではなく、無意識的な作業に置かれているという重大な実態を暗示している。高島は、毛筋ほどの「妄念」も差し挾んではいけないといった。ところで、この「妄念」とは、現代風にいえば、自我意識のことにほかならない。
ただし、これは易にのみ当てはまることではない。他の占いにおいても、記号の意味を読み取る際に行われていることは、これと同じである。p130
★ テレパシー現象が事実存在するのであれば、占いの見方も大きく変わってくる。p243
★ 最も古典的な前兆占いを例に、このことを説明しよう。
ここに、「犬が不吉な遠吠えをしており、気になっていたら、そのとき肉親が死んでいた」というケースがあったとする。
この場合、「犬の不吉な遠吠え」は「肉親の死」の前兆ととらえられるが、もしテレパシーが存在し、この遠吠えを聞いた人の無意識が、テレパシーによって肉親の死を察知していたとしたなら、この前兆占いは、次のように解釈することができる。
まず、この人の無意識は、「肉親の死」という重大関心事を意識に伝達しようとする。このことは、無意識 が察知した危険を意識や肉体に伝える機能があること、また実際に、そうしたメカニズムが働いて、胸騒ぎや夢などの形で意識に伝達されることなどによって裏づけることができる。
ところで、無意識が何かを意識に伝える場合、まさに夢がそうであるように、無意識は、自身の内に蓄えられた記憶内容を動員する方法をしばしば採用する。
そこでかりに、彼の無意識の中に「犬の遠吠え」と「死」が、ひとつながりの連合した観念としてインプットされており、たまたまそのとき犬が現実に鳴いていたとしたなら、無意識はさっそくこれを利用するだろう。
つまり、彼の注意を犬の遠吠えに向けさせ(こうした仕事は無意識がしばしば行う常套手段である)、同時に感情にさざ波を立てることによって、それが。特別な“遠吠え”であることを意識化させるのである。
犬の遠吠えが気になったとき、彼はそれとセットで記憶している「肉親の死」を、ただちに連想する。これによって、肉親の死を顕在意識に伝えようという無意識の目的は達せられるが、彼の意識はそうした内面の動きを自覚していないので、「犬の不吉な遠吠え」と「肉親の死」が、あたかも連動して起こったように感じ、前兆占いもあながち馬鹿にしたものではないと考えるのである。p243-244
★この例では、死の伝達には、「犬の遠吠え=死の前兆」という観念が利用されている。しかし、無意識にとっては、用いる観念は何でもいい。
かりにそのとき、犬ではなくカラスが鳴いていたとすれば、それを用いてもいいだろうし、たまたま外出していたときなら、何かにつまずかせたり、履物の腫を折ったりしてもよく、眠っているなら夢に見させてもいい。あるいは、死者の幻を見せたり、玄関の開く音を聞かせて―もちろんこれは幻聴である―伝えるなどのケースもある。
要するに、無意識の中で死と結びついた観念のうち、そのとき現実世界で“注意を”向けさせることのできるものを利用すれば、無意識の目的は達せられるのだ。
注目していただきたいのは、「注意を向けさせる」という、まさにそのことだ。犬の遠吠えは珍しいことではない。しかし、そのつど、それを聞いた人の肉親が死ぬわけではもちろんない。遠吠えが“意味をもつ”のは、それを聞いて「何かあるのでは」と胸騒ぎを感じたそのときだけにかぎる。なぜ胸騒ぎを感じたかといえば、無意識がそのように仕向けたから、無意識が犬の遠吠えに“注意を”向けさせたからである。
そしてそのとき、偶然にも肉親が亡くなっていた場合、それは犬が遠吠えしたから亡くなったのではない。「犬の遠吠え=死の前兆」という無意識に潜む観念を無意識が利用したから、犬の遠吠えと肉親の死は、あたかも連動した一連の現象のように生起したのである。p245-246
★ 嘉右衛門が、まだ父とともに鉱山経営に取り組んでいた18歳の頃、釜石方面にでかけた嘉右衛門は、休憩のために立ち寄った仙人峠の茶店で、鳥の嗚く声を耳にした。
鳥は鋭く1声鳴き、ついで7声、次に6声鳴いた。それが嘉右衛門の心に何かしら強い印象を与えたとみえ、彼はふとその声を卦に置き換えてみたところ、釜石は有望な鉱山という暗示を得た。後年、嘉右衛門は、明治 政府の高官相手にこのときのエピソードを話し、政府に調査してみてはどうかと勧めた。政府はただちに釜石に技師や学者などを派遣し、極めて有望な鉱山であるとの調査結果を得て、製鉄事業に着手するに至った。これが今の「新日鉄釜石」だという。p246-247
★ ここでは、烏の声が卦に置き換えられている。しかし、山中で鳥が嗚いているのは当たりまえのことだ。当時、山に龍って鉱山経営に取り組んでいた嘉右衛門にとって、鳥の鳴き声は少しも珍しいものではなかったろう。にもかかわらず、このときには、なぜか嘉右衛門は鳥の嗚き声が気にかかった。これが先に述べた「注意」なのだ。
もし嘉右衛門の無意識が、何らかの心の働きでそこに有望な鉱山があることを察知していたとしたら、彼の無意識は、その情報をなんとか嘉右衛門の顕在意識に伝えようとしたにちがいない。というのも、当時の高島家にとって、鉱山経営はまさに生きるか死ぬかの家運を賭けた事業だったからである。
このとき嘉右衛門の無意識が、釜石鉱山についての情報を易の卦に託して意識に伝えたのは、「易経」の内容が無意識の情報を伝える媒体になりうるほど、嘉右衛門の中で消化されていたからにほかならない。そこで無意識は、テレパシーで察知した情報に見合う卦と対応する事象を外界に求め、たまたま鳴いた鳥の鳴き声を利用して嘉右衛門の顕在意識に伝えたと考えることができるのである。
嘉右衛門は、そのとき烏は、はじめに鋭く1声鳴き、ついで7声、次に6声鳴いたといっている。けれども、それは事実かどうかはわからず、また事実であろうとなかろうと、どちらでもかまわないということだ。ひょっとしたら鳥は、鋭く1声鳴く前にも鳴いていたかもしれない。また、嘉右衛門には、次に7声嗚いたように思われたとしても、実際には8声か9声だったかもしれない。しかし、無意識にとって必要な鳴き声は、あくまで1声、7声、6声なのである。それゆえ嘉右衛門には、それが1声、7声、6声と聞こえたのであって、事実がどうであれ、そう聞こえた、あるいはそう聞こえるように彼の注意力が慟いたということだけが重要なのである。
これはテレパシーと呼ばれる心の働きが卦を用いて情報を伝えた例だが、同じことは、筮竹をさばくときにも、水晶玉をのぞき込むときにも起こり得る。また、占う者の無意識が関与できそうもないように思われる占いにおいても起こり得る。この場合、無意識が命式の解読をリードしたい方向に解釈を引っ張っていくという形で、テレパシーや直観などの心の働きによって汲みとった情報を意識に伝える。p248-250
★*以上、藤巻氏による占いのメカニズムについて紹介した。ここで「無意識」について心理学はどう捉えている か紹介しておく。
G・フロイトによる人間の意識
①ふつう「自分の心」だと思っている部分。表層意識(意識層)。「理 性」「知覚」。と、
②ふつうの状態では認知困難な部分。潜在意識(無意識層)。「本能」 。の二重構造になっていると考えた。フロイトの弟子のユングは②の潜在意識を
a個人的な潜在意識。と、
b他者や宇宙意識とつながる共通の潜在意識、の二つがあると考えた。*以上のことから私(細井)は占いについてこう考える。
相談者Aの無意識のユングbを占い者Bの無意識のユングbがテレパシ
ーで読みとって、占い者Bの顕在意 識に伝える。占い者Bは鬼神より与
えられた(直感で得た)答えとして相談者Aに伝える。Aは自分の無意識
のユングbの答えなので何故か納得する。Aのユングaやbのレベルが高
ければ、あるいはBのユングbがテレパシーを使わなくても答えを出せ
るほどレベルが高ければあたり、低ければあたらない。
簿記はギブ&テイクで理解する-その2
★a.これまで物々交換を物と物との交換(所有権の移転)を想定しながら説明してきたが、物とサービス(用役)のこともある。サービスとはもの(物、もしくは人、あるいは両方)の利用価値を使用することであって所有権の移動を伴わない。例えば「貸借」「請負(委任)」「労働」などである(人を物のように所有権が移動してしまえば「奴隷」ということになる)。この場合、物と物のように同時に交換ができない。時間的なずれが生じる。
★b.例えば①土地を借りて農作物を作り、その一部を土地の使用料として貸し主に渡す、②道具や機械を貸して賃料を取る、或いは③機械の修理をして修理代を受け取る、④建物を建てて建設費を受け取る、⑤工場の製造工程で働いて給料を受け取る、といったことで、何時から何時までという時の経過期間中によって提供されたサービスに対して対価が支払われる。
★c.この場合、対価の支払時期が問題となる。すなわち対価はサービスの提供時(始期)に支払われるか、提供後(終期)に支払われるか、である。つまり、サービスはいつから(始期)からいつまで(終期)という時間の経過と平行して提供されるものであるからその対価は「先もらい」とするか「後もらい」とするか。「後もらい」であれば「一括もらい」か「分割もらい」かというギブ&テイクの実施時期について双方の利害(損得) はギブ&テイクが同時交換が原則であることからすればリスクのある方が(サービスの提供について主導権を握られやすい方)の都合によって支払時期が決まる。すなわち、貸し借りでは貸したものを期日にきちんと返すかどうかは借り主次第である(主導権は借り主にある)から借り賃は先払いが原則である。逆に請負や労働はサービスの提供をする側が作業を途中でやめてしまうリスクがあるから後払いが原則となる(もっとも請負などでは業務遂行コストがかかるから前金、中間金制度が定着している。なお、土地を借りて収穫物の一部を貸し主へ払うという場合の事業主体は貸し主であり、借り主に見えても単なる役務提供者にすぎない。従ってあと分配である)。
★d.これを時の経過に即して図示すればこうなる。
サービスの サービスの
α 提供始期 提供終期
賃貸物の提供 賃貸物の返却
過去———————————————未来
β 対価① 対価② 対価③これを物々交換として仕訳すれば
【テイク】 【数量】 【ギブ】 【数量】
α 対価(金銭) ○○円 / サービス 始期から終期までの役務 (又は賃貸物) (又は○○個)
【テイク】 【数量】 【ギブ】 【数量】
β サービス 始期から終期までの役務/ 対価(金銭) ○○円
(又は賃貸物) (又は○○個)
★なお、賃貸物は返却時に逆仕訳が起きる。すなわちαは「テイク」βは「ギブ」となる。
★*今回は時間の都合で「貨幣取引から信用取引(債権・債務)へ」の導入メモしか書けませんでした。次回、改めて解説していきたいと思います。