YTAメモ《暫定》版  その2

代々木忠著「プラトニック・アニマル」平成11.12.25初版・幻冬社アウトロー文庫533円+税より

★ 今回も暫定版でお送りいたします。採りあげたのは代々木忠著「プラトニック・アニマル」平成11.12.25初版・幻冬社アウトロー文庫533円+税。サブタイトルが「SEXの新しい快感基準」著者はアダルト・ビデオの巨匠監督である。と、ここまで読んで「エーッ」という反応がかえってきそうですが、中に書かれていることはすべて「ホンネ」ここまで自分を偽らずさらけ出して書けるのか、という内容になっています(同氏の「オープン・ハート」平成12.12.25初版はもっと自分をさらけ出しています)。前回同様その一部を語録風に着色もしてみましたが今回は“抜き書きノート”の域を出ていません。本屋で立ち読み、拾い読みをするようなつもりで流し読みいただければ幸いです。
 なお、上記図書は当初1992年5月情報センター出版局より刊行されたものに加筆・訂正したものだそうです。

★これまで日本は「男はかくあるべき」「女はかくあるべき」をぜったいの是とする《二宮金次郎的世界》を作り上げてきました。そしてそれは、依然として私たちの身のまわりに残っています。そのなかでSEXやオナニーというのは、一番いやらしいこととして隠され、さげすまれ、否定されてきました。そういう価値観が長い間、人間の脳にどんどんインプットされてきました。やっているときに人に見られたくないから、これは秘め事なんだ、ぜったい人に見られてはいけないんだとタブー化してしまう。それがどこかで「見られてはいけないんだ」から「いけないことなんだ」にスリ変わってしまいます。p43-44

★たとえば、一時期、純愛ブームというのがはやりました。しかし、人々は何をもって純粋な愛、純愛と呼んでいたんでしょう。《恋愛-SEX=純愛》という図式が、みんなの頭の中になんの疑いもなく描かれていたのではないでしょうか。知らず知らずのうちに、純粋な愛なるものは、SEXがないことに置き換えてはいなかったでしょうか。でも、ここで考えてみていただきたい。この図式が成り立つためには、SEXが純粋ならざるもの、つまり不純なものという前提がなければなりません。純粋と不純という対立概念において、SEXは 不純なものに位置づけられています。現在、SEXが好きだ」と友人の間では公言できる人においてさえも、性はどこか後ろ暗くやましいものという意識がその深層には横たわっているような気がします。p44-45

★人間は学校、会社、国家といった《制度の世界》と、SEXのように本能に基づく《本音の世界》に生きています。SEXは本音の世界だから、「かくあらねばならぬ」という制度のよろいかぶとをどこまで脱げるか、自分の価値観や固定観念をどこまで捨てられるかが重要になってきます。制度の価値観や固定観念を捨てるときには、徹底的に捨てちゃいましょう。SEXをするときは、よろいかぶなんか脱いじゃいましょう。そして終わったら、すぐまた着ければいいだけのことです。また着けて、約束事や価値観が大切な制度の世界にきちんと戻ればいいんです。

  SEXが楽しめなければ、オーガズムを体験できるわけがない。

見栄やプライドを捨てられなければ、オーガズムを体験できるわけがない。

自分の弱味を握られまいとしながら、オーガズムを体験できるわけがない。

人によく思われたいと思っていて、オーガズムを体験できるわけがない。

SEXに一抹のやましさを覚えていて、オーガズムを体験できるわけがない。

自分を大切に取っておいたまま、SEXでイクことなどできない。p47-48

★なぜ男はSEXでイケないのか。それは男が無意識のうちに、イッてしまうことに抵抗してきたからではないか、と私は思います。女にイカされてたまるか、征服されてたまるか、という気持が必ずどこかにある。それ を男のプライドだと思い込んでる。男は女以上に自分の中に「かくあらねばならぬ」という世界を作っている。でも、そんなものSEXという本音の世界では邪魔なだけです。制度の世界のよろいかぶとを脱げないのは、実は男のほうなんです。私は制度の世界を否定しているのではありません。ただ、制度の世界がすべてだと思うと、自分の中で相当な苦しみが生まれるし、SEXでイクことなどとうていできない、とおもいます。p54

★昭和40年代の後半、日活の「痴漢」シリーズの取材で山本晋也と新宿中央公園によく出かけた。そこには材木屋のタメさんというのぞきのプロがいていろいろと教えてもらいました。まだ沖縄が返還されていない時代で、やってきたアベックの男がいいカッコをしている。「今、沖縄の島民は果たして返還を望んでいるのだろうか。日本に返って、彼らは本当に幸せになれるのだろうか」などということを延々と女の子に語っている。すると、タメさんが繁みの陰から出ていってこう叱り飛ばす。「テメェ、このバカやろう。この女の子は『好き』って言ってもらいたいし、キスしてもらいたいんだ。テメェみたいなのは邪魔だからとっとと出ていけ」そのとき、ああオレもこれをやっているな、と思った。
 胸に手をあてて考えてみれば、男は意外とこの愚を犯している。オレはこれだけ知識を持ってるし、どこどこの誰も知っているとか、あの店は面白いよ、オレが行けばあそこは顔だからとか、言えば言うほど自分ではなくなってしまう。全部プライド、自分以外の外側なのだ。p145-147

★本当は、SEXは疲れを取ってくれるものなんです。これを読んでる疲れたお父さんたちには信じてもらえないかもしれませんが。SEXが疲れると感じるのは、たとえば夫の側に妻とのSEXを義務ととらえてしまう意識があるからじゃないでしょうか。つまりSEXを楽しんでいません。本当にいいSEXをすれば、SEXを心から楽しんでオーガズムを体験できれば、自律神経のバランスがとれ、体内のさまざまな臓器も脳も正常に機能するようになります。その意味では、男が真のオーガズムを体験できたとき、初めて男の平均寿命は女に追いつくのではないかとさえ思います。p56

★うなじに息を吹きかけ、首筋にキスをし、胸をもんで、乳首を舌先でころがし、背中をなでて、下腹部に手を 這わせる。それがSEXの前戯だと多くの人が思っています。でもベッドに入ってからできることなどたかが知れてます。制度の世界から本音の世界に移行するまでの段階、これが前戯だと思います。たとえば、きょうはしたいなぁと思ったら、帰宅して妻が夕飯の仕度をしているときからエッチな話をしたり、ふっと妻のお尻をさわる。妻も「いやぁ、なによ、あなた……」などと言いながらエッチな気持がどんどんふくらんでくる。そんな妻に「なんか、ムズムズして大きくなっちゃった。さわってくんない?」妻の答えは「バカ言ってんじ ゃないわよ」。しかし、すでに私たちはそこでSEXをしている。SEXはベッドの上だけのことではない。ベッドに入る前にいかにしたい気持に二人が高まっていけるか、そのためにこそ前戯があります。p61-62

★SEXは感性や感情や感覚で楽しむものだから、あんまりいい子ちゃんにならないで、できるだけいやらしいことを言い合いっこするのがいい。たとえば状況を説明する。「アソコ、もうビチョビチョになってるよ」とか「オマンコ、ヒクヒク動いているのが、パンツの上からだってわかるよ」とか、「アソコをベチョベチョしゃぶっちゃおうかな」というように卑猥な言葉をどんどん投げつける。このときの状況説明は事実どおりである必要はない。「キミの中にズボズボ入ってるのが見えるよ」「中が卑猥に動いているよ」「お尻のほうまで 垂れてるよ」「もうグショグショだよ。ああ、いやらしい音」。多くの人はこういう会話に照れる。だが照れるからこそ、大いに言おうではないかと私は言いたい。照れるからこそ、言葉によって人はエゴの崩壊を起こせるのである。二人でいやらしいことを言い合ったからといって、だれに迷惑がかかるものでもない。彼女があなたを信頼し、勇気を出していやらしい言葉を口にすれば、彼女は自分の言葉によってよりいっそう開かれてゆく。それは本当の快楽への第一歩であり、その延長線上には間違いなくオーガズムが待っている。
 p68-69.p86

★「チャネリングFUCK」シリーズを撮っているときに面白い発見をした。撮影中、私が女の子に「クリトリスをなめたいな」と言い、その言葉に刺激されて彼女が反応する。これは普通である。ところが何回かに一回、私が「クリトリスをなめたいな」と言うか言わないかのうちに彼女が反応するということが起こったのである。つまり、言葉が出るより先に私の思いは彼女に届いているということになる。
 この発見によって考えたことは、ふだん私たちが交わしている会話においても、相手には言葉だけではなく、実は自分の思いまでもが届いているのではないかということであった。だからあまり悪い言葉を使うと、自分によくない。人を罵倒すると、そういう思いが出ているわけだから、それが相手に伝わり、相手も同じ思いにさせてしまう。そしてその思いはあなた自身へと返ってくることになる。私は撮影中、うまくしゃべろうとは思っていない。見たい、のぞきたい、もっとスケベにさせたい、という一心で言葉を発している。言葉に魂があること、そしてそれは必ず相手に伝わると私は信じている。巧みな話術が必要なのではない。大切なのは純粋にSEXを楽しもうとする心のほうである。p69-70

★「知性的」「理性的」という言葉にはプラスのイメージがあるのにたいして、「本能的」といえばマイナスのイメージがつきまとう。しかし何げなく使っている『理性的』という語は、本当の意味での理性を指しているだろうか。宗教的道徳観や社会的倫理観といった、『かくあるべき』的なものの考え方を規範とする、単なる概念思考を理性だと思い込んでいないだろうか。かく言う私も概念思考と理性の意味を混同し、理性を本能の対立概念として考えていた時期があった。真の理性とは本能の成熟によって開花するものであり、『かぎりな くポジティブな感性』によって成り立っている創造性である。これがアダルト・ビデオに出演した多くの女性たちから学んだ私なりの結論であった。p139

★先輩に政治家に金を貸すほど裕福な実業家で、4号さんまでいる男がいる。当時、40代前半で、金があって女がいて、男から見ればうらやましいかぎりだが、そんな彼にも一つ悩みがあった。「いや、何がつらいと言ったって、メシがつらいわなぁ」と言う。なぜメシがつらいのか尋ねると、「2号のところに行ってメシを食うやろ、せやけど、その日のうちに3号のところにも行かんとならん。3号はワシの来るのを楽しみにしてメ シの仕度をしとる……。2号のところでさっき食うたとも言えへんし、うまそうな顔して無理やりメシを詰め込まんといかんのや、ホンマつらいわ……。」
 それから数年後、彼から「今、地獄なんやー」と電話があった。彼は妻も含め、それぞれの女に他の女のことを隠していた。もう秘密のかたまりである。大変なのは彼ばかりではない。彼の会社の社員も過密なスケジュールの口裏を合わせ、女たちがニアミスしないように配慮しなければならない。ところが4人の女たちはというと、うすうすどころか、すでにもうほとんど察しており、そのことに気づいていないのはどうも本人だけだったらしい。そして、とうとうバレてしまった。そこで彼も開き直り、全員を会わせてしまった。自分の嘘も秘密も全部余すところなく見せてしまって、彼は子供になった。女たちからはボロクソ言われる。しかし彼女たちにしても、彼が子供になってしまったから、もうそれ以上は責められない。4人の女たちの前で本当に正直になったとき、初めて彼は解放された。その後、「きょうは誰と寝るの?」と言うくらい、女たちは母になってしまったという。最近では、いろいろな家に行くスケジュールまで女たちが決めてくれているらしい。彼は心から楽しめるようになった。だから、男女関係のコツは自分が主導権を握らないことだ。負けるが勝ちなのである。夫は妻に、彼は彼女に、主導権を握らせてしまう。男はその中で漂えばいい。女が決めた仕切りの中で、言われることをハイハイと聞いていればいい。最初はオレの考えと違うなと思っても、かまわず女の意見をどんどん肯定していくと、ある時点から自分のやりたいことが要求しなくても叶うようになってくる。
 p173-175

★ヤップ島という電気をはじめ文明の利器らしいものがまったくないところに1ヶ月ほど住んだことがあります。食べる物といえば、タロ芋・ヤム芋、魚を蒸し焼きにしたものとか、カニを独特の香辛料で煮たり焼いたりしたものとか、海亀とか、コウモりとか……。犬も食料として貴重なタンパク源、というところです。ここで生活するには自然に自分を合わせていかざるをえない。ありとあらゆる自然に同化し、人間も野性を取り戻す。そこからの帰り、グアムに2泊した。ボウボウだったヒゲを剃り、ビーチやプールサイドにいると「一人ですか?」とか「どれくらいいるんですか?」と、女の子たちが声をかけてくる。その2日で、私は6人の女の子とSEXをした。6人のうち5人が失神し、私も深いオーガズムを味わった。ヤップ島に一緒に行った数人も 同じような体験をした。これはきっとオスの臭いだろうな、と私は思った。三次元的な五感でいう臭いではない何かをメスが嗅ぎつけてやってきている。自然に同化した私はきっと何かを発していたんだと思います。
 p159-160

★SEXと思い込んでる営みはパートナーの体を使ったマスターベーションp233

★知らず知らずのうちに浅い呼吸が身についてゆく
 浅い呼吸が身につくと感じる能力は低下するp233

★意識的な呼吸は閉じ込められたこころの傷を溶かす力をもっているp233

★こころの傷を溶かし、最高のSEXを実感するための呼吸法
 ①体のエネルギーの流れを整えるための呼吸法
 時計、指輪、眼鏡、ベルト、体を締め付けているものは全て外す。大の字になって仰向けに寝る。眼を閉じる。光を体内に取り入れるという意識を持ち、息を吸う。深く、深く、深く、吸う。体内の毒素とネガティブな感情を放出するという意識を持って息を吐く。吐く、吐く、吐く、全部吐き出す。一呼吸ずつていねいに時間をかけて、深く、ゆったりとした腹式呼吸を12回。欠伸、涙が出てくれば、効果の証し。休まずに②の《社会を手放す呼吸法》へ
 ②社会を手放す呼吸法 *YTAメモその36で紹介した「ブリージング」のこと
 眼を閉じて、股の中心を意識する。腹式で深く激しい呼吸。吐く時には肛門を締める。一秒一往復くらいのテンポで、全力疾走直後の呼吸を想定し、100回以上を目標に、ひたすら呼吸を繰り返す。ポイントは呼吸に熱中する。無我の境地が起きれば効果大。この呼吸は決して一人では行わない。信頼出来るパートナーに軽く手を握ってもらう。パートナーとの信頼関係が不十分な場合や、呼吸の初期段階においては、顔面や四肢のしびれ、部分硬直が起きることがある。四肢の硬直が極端に強い時や恐怖感が強い場合(自分がいなくなってしまうような感覚に襲われる事もある)は、ゆっくりと自然呼吸に戻す。
  続いて③《感覚との対話》へ
 ③感覚との対話。麻痺した肉体感覚を取り戻す
 呼吸の事は一旦忘れて眼を閉じたまま全身の感覚に意識を傾ける。呼吸直後の『ブーンというような振動音を伴った肉体感覚』を実感し、細胞からのメッセージに耳を傾けてみる。『全身の細胞が歓んでいる』そんな感想を持つかも知れない。痛みを感じる場所があるなら、それは普段から何らかの理由で過度な重圧を与えていた個所かもしれない。例えば、その場所に、『頑張ってくれてたんだね、ありがとう』こんな思いを送るといい。続いて④《性器呼吸》へ
 ④性器呼吸で《本能》を蘇生させ感情の瘤を溶かす
 《性器呼吸》とは私が命名した以下のような呼吸法のことだ。眼を閉じたまま自分の性器から暖かいエネルギーを胸の中心まで吸い上げるイメージ(男性の場合、自分が女性になったつもり)で一気に吸い、呼吸と共に声を出しながらそのエネルギーを胸の中心から一気に放出する。SEXのときのようなあえぎ声を出すのがコツ。パワフルに60呼吸くらいが目安。《性器呼吸》は性的な快感を伴うことがあるが、《本能》に身をゆだねることが重要。女性はエクスタシーを体感する事さえある。続いて⑤《自己とつながる》へ
 ⑤自己とつながる
 全身の力を抜き眼を閉じたままの状態で自分の内面に意識を傾ける。自分の内面から沸き上がってくる想いや感情は、《本能》からのメッセージであると考えられる。内面から発せられる印象に畏敬を実感すれば効果大。感謝の気持ちを伝えて終わる。p234-237

解説(作家・大下英治)より
 代々木忠、堅苦しいのでヨヨチューと呼ばせてもらうが、女性にも、男性にも、真のオーガズムを味わうためには、しきりに「エゴを捨てろ」「心まで裸になれ]とすすめる。恥じらいが捨てられないために、真のオーガズムを味わえない人間が多いことを書いている。
 ヨヨチューのビデオに出演して失神までした女の子が、よくこんなことをいうという。
 「最初、男優さんからいろんなことをされているときには、まだ照明の人が2人も3人もいるし、録音の人もいるし、助監督もうろうろしてるし、カメラマンはいつも私のほうばかり撮っているし、もちろん監督もいるし………そういうことが気になっているの。でも、だんだん感じてきて、一人ずついなくなっちゃうのよね。照明の人や録音の人がいなくなり、スタッフはカメラマンと監督の声だけになる。そのうちカメラマンもいなくなって、男優さんと2人きりになってしまうの。それから男優さんもいなくなり、最後には私自身もいなくなってしまうのよ」
 彼女のいったことは、オーガズムに至る一つの極意である。わたしは、このエピソードを読みながら、時宗の開祖一遍上人と、法燈国師心地覚心という禅僧とのやりとりを想い出した。一遍は、国師の前で和歌を詠んだ。
 唱ふれば 仏も我も なかりけり 南無阿弥陀仏の 声ばかりして
 つまり、南無阿弥陀仏と口でとなえれば、我も仏もない「南無阿弥陀仏」の声が聞こえるばかりである。一遍は、これで真の悟りに達したと思った。ところが、国師はいった。
 「未徹在」
 まだ悟りに徹しないものがある、というのだ。「南無阿弥陀仏の声ばかりして」というのでは、まだその声を意識している自我が残っている。「仏も我もなかりけり」といっても、声を聞いている我がある。一遍は、ただちにまた一首を口ずさんだ。
 唱ふれば 仏も我も なかりけり 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏
 国師は、ただちに禅の印可を一遍に贈呈した。
 その一遍は、のち弟子にどうしたら悟れるのかと聞かれ、「捨ててこそ」とひとことだけいい、あとは何もいわなかったという。一遍は、その言葉どおり、家庭も愛も権力も富もすべてを捨てきった。「捨聖」と呼ばれ、踊り念仏をしながら、多くの人たちと日本を歩きまわった。大宇宙のリズムとともに生きた。わたしの眼には、ヨヨチユーは、平成の色界の「捨聖」と映る。p244.251-253

★〈知ること〉に代表されるのが知性や理性であり、〈感じること〉に代表されるのが感性や感情だが、私たちはこれまで〈知ること〉を重視し、〈感じること〉を軽視する傾向にはなかっただろうか。知性的な人物と感情的な人物を比較した場合、ついつい知性的な人物のほうを1ランク上に置いてしまいがちである。これでは、〈知ること〉のほうが〈感じること〉よりも高等だと決めつけているようなものではないだろうか。
 しかし、世の中には〈知ること〉ではなく、〈感じること〉しかできないものもある。たとえば、人のやさしさや思いやり、そして悲しみや苦しみなどは〈感じること〉しかできない。
 人間は本来その瞬間瞬間に何かを感しながら生きているはずだ。にもかかわらず、たくさん〈知ること〉のみがあたかも幸せへのパスポートだと考えてしまう。私には、これが不幸の一つの原因となっているように思えてならない。しかも〈知ること〉が今は義務になってしまって、多くの人は苦痛に感じていることだろう。〈知ること〉のサイクルに飲み込まれてしまって、そこから抜け出せないでいる。
  〈知ること〉は外との対話であり、〈感じること〉は内なる対話だと書いたが、〈知ること〉を重要視する傾向は、私たちの目を外側の世界へと向けさせる結果になる。
 そして、外側にこだわればこだわるほど、内側に空しさを抱え込んでしまう。なぜならば、人間の肉体は外側だが、精神は内側だから、本来人間は両方とも必要なのである。にもかかわらず、外側を満たすことがまるで両方を満たしてくれるかのように考えられている。
 たとえば、気に入った服を買えば、いい気分になれる。しかし、そのいい気分はせいぜいもって2、3日だろう。人はすぐにまた違うものでいい気分になりたくなる。あるいは、人はステイタスを得ることでもいい気分になれる。ところが実際の心はなにも埋まっていないから、もっと大きなステイタスが欲しくなってしまう。
 自分の内側の世界は自分より外には広がっていかないけれども、外側の世界には境界線がない。だから、外側に何かを求めはじめると、限りなくエスカレートしていくことになる。自分の内側にできた空洞を、人は外側の何かで埋めることはできない。p180-182(オープン・ハート)

語録追録

★ホームページも別荘と同じで大変なんですよ。持たないともっている人をうらやましいと思うんですけれど、持つと維持が大変、ということで旅館の方がよっぽど安い。
  *天野隆セミナーテープより

★売れ残りが出ないようマンションを完売したい、かといってあまりおおっぴらに値引きをすると既に購入いただいた方からクレームが出るからそれも避けたい。そこで食器洗い機や足下暖房、生ゴミ処理機などサービス品をいっぱいつけて何とか売り切ろうとする。でも考えてみたら欲しくもないものを売りつけているんじゃないだろうか。○○ハウスなんかも社長が凝り性だから、良すぎる住宅を造っている。ゼニに余裕のある人ばかりじゃない(少しぐらい品質が落ちても安い住宅の方がいいと思っている)のにこちらが勝手にそう思いこんで値打ちな住宅(価格は普通だがサービス品がいくつもついているからお値打ち)を供給しているのかもしれない。
  *住宅は一生の買い物だから少しぐらい予算オーバーになっても使い
   勝手で後悔しないようと考えて購入を決めるのか、住宅ローンは一
   生返し続けなければいけないのだから背伸びをせず出費はできるだ
   け抑えようと考えて購入を決めるのか、最近は後者の方が多いので
   はないだろうか。

★試験委員をしてみて、書き出しから議論の展開、結論のもって行き方までほとんど同じ文章の答案用紙をいくつも読みました。文章にもいくつかパターンがあって、これは○○学院、こちらは□□簿記、これは◇◇アカデミー、と受験生の出身校までわかります。かつては試験委員の本を読んで受験するということが一般的だったんですが、最近は受講している簿記学校のテキストしか読まない受験生が増えているみたいです。ポイントはきちんとおさえた解答で一定のレベルにあると認められるんですが、こちらが期待したところまでふみこんだ解答がほとんどありません。学校から与えられたテキストしか読まない人たちが将来会計人になったとき応用問題をきちんと解けるかどうかちょっと心配になりました。
  *平成13年1月、公認会計士2次試験委員をしている公認会計士の田
   島和憲氏の講演で聞いた話。

★ウサギの足にギブスを巻く。オスウサギは束縛から逃れようと必死になり、エサも食べずにひたすらかじり続けるそうです。ところがメスは初めの1時間ぐらいはかじりますがあきらめて食事をとり、休養し、ムダな体力を消耗しないようにするそうです。その結果先に弱って死ぬのはオスの方で、メスの一種独特のしたたかな強さは人間のそれに似ています。(高森顕徹著「光に向かって100の花束」一万年堂出版p81-82より)
  *このエピソードではメスに軍配をあげていますが2時間かじったら
   、あるいは3時間かじったらギブスを外せたのかもしれません。そ
   のときはオスの行動の方が評価されるわけでオスのこだわりもあな
   がちムダとばかりはいえません