「心」日下公人著「もっと頭のいい『生き方』をしろ!」(三笠書房:2001.8.5第1刷1400 円+税)より
「技」エリック・シュローサー=楡井浩一訳「ファストフードが世界を食いつくす」(草思社:2001.8.14第1刷1600円+税)より
「体」外山利通著「牛乳神話完全崩壊」(メタモル出版:2001.1.25第1刷1300円+税)より
新年、あけましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いします。
「心」日下公人著「もっと頭のいい『生き方』をしろ!」
(三笠書房:2001.8.5第1刷1400円+税)より
★まわりから見て、とりわけ自己犠牲的なことをやれば、それこそ一発で認められます。といってもそれは心構え、そういう覚悟を常に持ち続けられるかどうかだと思います。
昭和30年代、紡績がまだ日本の主力産業だった頃、近江絹糸の女子寮の水洗トイレが故障して詰まったことがあった。会社に言っても休日で誰もいない。その時、ある青年が女子寮に駆けつけ、自分の腕をトイレの汚物のなかに差し入れ、肩まで汚物にまみれながら、詰まっていた脱脂綿(ナプキン)を取り出して水が通るようにして帰ったそうです。
みんなを感動させたその一瞬の行為は、たぶん何も考えずとっさにやったことだと思いますが、それが深い感動を呼びました。その青年は組合の役員になったのですが、その人の指導力のおかげで近江絹糸の組合は団結力がありました。p204-205
★明治・大正時代の人は「子育ての成功」を誇りにしました。
高度成長期の男たちは「自分は仕事をした」というのを自慢にしました。あるいは「わが社はあれをつくった」とか「受注獲得や用地買収、資金調達に苦労した」といった「仕事の達成」を生涯の思い出にしました。
高度成長が終わってからの人びとの生き方は、「消費」の自慢に移行しました。マイカー、マイホーム、ゴルフ、レジャー、海外旅行。これは、まわりの人に自慢し、そのなかに自分を確認することだから、こうした消費は内面的な満足を離れて、やがてブランド集めに移行します。でもこれは単なる「見せびらかし」の満足にすぎません。
そこで質問です。あなたは、これまでの自分の生き方に納得できるだろうか。また、もし、いまの自分の生き方に不満があるとしたら、その不満を解消するために何か手を打ってきただろうか。p12-13
★よく「自分は歯車の一つにすぎない」などといいますが、「歯車」を見くびってもらっては困ります。歯車にはカドがあって右からきた力を左にきちんと伝えるという重要な役目があります。歯車のカドはいわば自分の「輪郭」です。輪郭がはっきりしていれば「自分がこうしたらあの人はこうしてくれるだろう」「こう言ったら、こう答えてくれるだろう」と相手の行動や言葉を期待することができます。これを「行動予測性」「発言予測性」といい、行動予測性が高まればそれだけ信頼されることになります。
まわりに築き上げた、「あの人は信用できる人だ」という行動予測性も、ほんのちょっとしたことで「信用できない人だ」に変わり、行動予測性は瓦解し、失われてしまいます。
行動や発言がその都度コロコロ変わってしまう人は信用されません。だから、自分の信用の拠りどころである行動予測性は守らなければなりません。いったんまわりに見せた行動予測性は相当程度、貫かないといけません。たとえ、自分の不利になり、損をする結果になったとしても、自分の行動予測性(人格)を守っていれば、やがてトクするときに受けるものが大きくなります。p20-21.p25
★行動予測性とは、「あの人に任せておけば、必ず約束どおりやり遂げてくれる」ということだが、そうした信用を得るには、やみくもに頑張って約束を守りきる敢闘精神だけでなく、約束を守りきれない事態をあらかじめ想定する能力をも養う必要があります。
明らかに守りきれない場合は、はじめに断わって、引き受けないことです。そうすれば、「この人は予測能力がある人だ」ということになって、逆に信用は高まり、新たな評価まで加わります。やってできないことはないが、これこれの障害がありそうだ、ということなら、障害を取り除くことをあらかじめ考えて準備したり、最悪の場合について相談しておくことです。これは問題処理能力です。その人の意志の強さ(行動予測性)と問題処理能力の大きさの合計が信用を集めるます。p26
★江戸時代は太平が続いたので、武士がサラリーマン化して、
世の中は左様しからば、ごもっとも 何とござるか、しかと存ぜぬ
という狂歌が武家・役人の仕事の要領になったという話がある。
上に対してはイエスマンで、仕事に対しては逃げの名人、ということになるが、これも考えようによっては輪郭の一つである。自分の能力の限界を心得ており、リスクから早めに逃げる才能があると考えることができる。失敗したときは切腹と考えていればこそのことだと思えば、なかなか立派なものである。P27
★自分を貫き、自分を主張しようとすると、そこには孤立の危機がある。これは、自分が信じ主張することが相手に理解されず、受け入れられず、ときには反対されるところに生まれる孤独である。こちらは一人、相手は大勢で、誰も耳を傾けて理解しようとしてくれない。でも、なぜそんなことになるかといえば、その本人が真実を知った唯一の(あるいは、ごく少数の)人間だからで、つまり、その人は正解の発見者なんです。反対を唱える人たちからは、「そんな奇妙なことを言っているのはお前だけだ」と言われる。第一発見者である以上、それは当然のことである。だから、その人はこう答えるしかない。
「はい、そのとおりです。仕方ありません。しかし、それはもうじき理解され、広まるのです。しばらく辛抱することにしましょう」と。
むろん、それは充分に検討し、考え抜いたものであることが大前提となりますが。p32-33
★旧制中学では一年に数回、全員が受けるテストがありました。生徒数は一学年200人。50人ずつの学級が4組ある。その試験の成績が、1番から200番まで全部廊下に張り出されました。一年間の合計で1番成績がよかった生徒は1組の級長になり、2番の生徒が2組の級長になる。つまり4番までが級長。5番から8番までは副級長になる。そうやって順番に生徒を振り分けて学級編成を行なっていました。成績がトップであることをみんなに見せることによって、本人の自覚を高め、同時に周囲にその存在を認めさせる。生徒たちは、「あいつは1組の級長だから、1番優秀なんだ」と納得し、一目置く。当人もいっそう頑張ってその地位を守ろうとする。そこには、本人を教育し、知識を与え、能力を高めるだけでなく、エリートとして振る舞う意識、周囲との関係の持ち方などを実感としてつかませていく工夫があったんだと思います。p61
★エリートは下の階層の人間と競争しません。「自分は上にあることを運命づけられたのだ」と自覚すれば、部下や家来の意見に耳を傾けることができます。部下から教わることを気にしません。それは、リーダーが偏差値競争の外に立つものだからです。ところが日本の会社では、部長も社長も部下に負けてはいけないと考えてしまう。大学教授は学生に負けてはならないと思ってしまう。しかし、それはエリートではない。 p62-63
★強いリーダーは、一番下の実務から一番上の知略、戦略に関することまでできます。かつて国鉄(現JR)では、最初の一年間、大学出のエリート候補生に、現場の末端の下働きをすべて経験させました。横に現場のベテランがついてSLの石炭くべから、徹夜の見まわり、駅の便所掃除までさせました。便所掃除をさせられたからといって、みじめな気持ちになったりはしません。トップになる者は末端の苦労を知らなければならない、ということで経験する仕事で、一年後からはどんどん上に行くのだから、むしろ、エリート待遇を再確認する過程でした。だから、「自分にこんな現場の仕事をさせるのか」なんて言う人は劣等感が残っている証拠で、まだエリートの精神が身についていません。p63-64
★エリートはさまざまな資質、能力に恵まれ、そして人の何倍も、何十倍も勉強し、体験する。エリートとしての気構え、精神など、じつに多くのものを学び、身につけなければならない。そのためにはエリートに特急券を与えるべきである。特急券を与えられたエリートは自らを鍛えて、たとえ日本よりもっと大きな相手に対してもひるむことなく、対等の交渉をしなければならない。そのとき必要なのは、才能と見識と度胸と、それから、ただ突っ張るだけでなく、座を和らげる冗談もさりげなく言えなければならない。p67
*駐米大使だった牛場信彦氏は、日本車のアメリカ進出で締め出しの圧力がかかったときアメリカの国会議員を訪問して説明をした。すると、相手はこう言ったという。「あなたの言うことは正しい。しかし、自分の選挙区はデトロイトなんだ。日本の自動車が進出してきたために、この街の一割、いや、二割もの住民が失業して苦しんでいる。そんな人たちに向かつて、日本は正しいんだとは言えない」それを聞いた牛場氏「それはもっともな話だ。国会議員の立場にあるあなたがそれを言って落選しては困るだろうから、私が行って日本の立場をありのまま話すことにしよう。自分は日本国大使だから、日本のために言わなければならない」「そんなことをして、石でもぶつけられたらどうするのか」 「自分の仕事だから、たとえそうなったとしても仕方がない。私は石をぶつけられて死ぬために給料をもらつていると言ってもいい。もしも、実際にアメリカ国民が日本の大使に投石して殺したという事態になれば、それはアメリカという国の恥である。死ぬ私の恥ではない」そして牛場氏は、話をする場の設定と人集めを頼んだ。「明日にでも行こう。会場まで連れて行つてくれ」頑として信念を貰こうとする牛場氏に、相手の国会議員は折れた。「わかった。お前はデトロイトに来なくてもよい。日本が正しいということは、私自身の口から言おう。どうか、アメリカの政治家にも真っ当な人間が一人はいたということを覚えておいてくれ」牛場氏の毅然とした態度はさすがである。また、アメリカの国会議員も立派である。こちらが立派になれば相手も立派になる。何事においても、きちんと考え、きちんと主張して、きちんと行動すれば、人はついてくるし、アイデアも豊かになつて、成功が得られる可能性は高くなってくる。p121-123
★経営トップには気分の悪い仕事がある。たとえば、「君はもう年だから辞めてくれたまえ」と言わなければならないとき。あるいは、「君は今度失敗したから、しばらくOOへ行つてほしい」などで、そこで「そのうち呼び返すからな」とウソをつくか、つかないで追い出すか、いずれにしても気の重い仕事をしなければならない。そんな仕事をしたあとは、会社の人も仕事の関係者も誰もいないところに行きたくなる。銀座のバーやクラブはその逃げ場所でもある。そんな気のめいる仕事をしたあとは一人でちびちびと飲むこともあったのである。そんな人をときどき銀座で見かけた。
誰でも、一つの事業を立ち上げ、人を雇うとなれば、身の処し方、情報の集め方、ものの言い方、判断と決断の仕方などを学ぶ必要があるが、そういうとき、「君たちに任せる」と言って逃げ出したり、役に立つ人脈を持つていなかったというのでは、社員がついてこない。
トップは心を平静に保つて間違いのない判断を下さなければならない。むかしも現代もトップに立つ人は、読書、音楽、スポーツ、園芸、美術…等々、心を平静にするための時間や趣味を、多かれ少なかれ持っている。p74-75
★湾岸戦争時に限らず、アメリカの外交は強圧的で、なんと、いまアメリカが経済制裁を発動している国は60カ国もあります。国連に加盟している国は192カ国、シドニー・オリンピックに参加したのは約200カ国・地域だから、世界中の3割もの国に対してアメリカは制裁を科しています。経済制裁は本来、その国の非を糺すための非常手段、正義を守るための実力行使だから、ある意味ではカツコいい。しかし、ここまで経済制裁を乱発すると、問題のある悪い国がそんなにたくさんあるのか、という気がしてきます。
正義を愛し、世界のために戦う祖国を誇りに思うアメリカ国民に「北朝鮮は国家としてすべきでないことをしている。ゆえに経済制裁を行ないます」「ミャンマーの軍事政権の暴虐は許せない。制裁を発動します」と、政治家や役人がカッコつけて点数を稼ぐ。相手は小さい国だから、それほど反撃は怖くないと思って次々に制裁しているうちに、対象の国がここまで増えてしまった、といったところではないでしょうか。こんなやり方を続けているかぎり、遠からずアメリカは国際的な信用を失うのではないでしょうか。p182-183
★いま、アメリカがしている特許権や著作権の征伐をしている姿に、私は浅ましさを感じます。特許権の取得などは、先に唾をつけたほうが勝ちという単純な競争の結果にすぎません。アメリカ自身、400年の歴史のうち350年間はヨーロッパの文明・文化を無断盗用したことを棚に上げています。いまから100年前、アメリカの流通業者はヨーロッパの文化商品を中国につくらせ、ラベルも偽造して、アメリカ中西部の農村へ大量に売って利益をあげていました。そしてヨーロッパヘの感謝がありません。p105-106
★「エコノミスト」(2000.7.22号)によれば、アジアで日本製品の粗悪な海賊版が出まわっているのに、日本人は海賊製品退治をほとんどしないんだそうです。「そんなことをしている間に、次の新しいもの、もっと魅力的な商品をつくろう」と考えているんだそうです。「エコノミスト」の記事には続きがあります。日本製品の海賊版を買っていたアジアの人びとが、アジア全体が金持ちになってきたので、いまはだんだん本物を買うようになったんだそうです。これまでは貧乏だったから高い本物は買えないので海賊版で我慢してきたが、本物を買えるだけの購買力がついてきたら買うようになった、と書いてあります。
ふつう、安いコピーがたくさん売れれば、その分、本物が売れなくなると思います。しかし、カネさえできれは、やはり本物を買いたいと思わせるだけの魅力を日本製品が持っていた、と言えるのではないでしょうか。
持っているものを守り、いまある利益を確保しようとするのは、後ろ向きで発展性がありません。持っている財産(=技術、才能)をより高いレベルの目標に向かって発展させようとすることは、それ自体が楽しくておもしろい。充実感があって、次に向かう知恵も出てきます。創造的日本企業には「自分」がある。自分を持つ企業は今後も自分のすべきこと、自分のしたいことを知り、見つけていくことができます。p107-110
★イギリスが「われわれはもう基礎研究はやめて、日本のように応用研究をしよう。基本特許が多いと言つて自慢したところで、飯を食うことはできない。これからは日本のように応用特許をたくさん取る国になろう」と言い出しました。
ノーベル賞の受賞を自慢するのは“やせ我慢にすぎない”と言い、日本がうらやましいという本音をかくさなくなりました。
ところが、一部の日本の官僚や学者や政治家は、「日本は基本特許で負けているから科学技術の基盤が弱い。もっと頑張って基礎研究に取り組まなければいけない」と言っています。そんな話を聞くと、「あなた、それ、本気で言っているんですか。そんなことをやりだしたら儲からなくなりますよ」と言いたくなります。
基礎研究が進んだイギリスがうらやましいとおっしゃるが、そのイギリスは、いま、シンガポールよりも香港よりも貧乏だということをご存じないのでしょうか。そんなこと、日本国民は目指しませんよ、というふうにきちんと批判する人が、なぜか日本には誰もいません。イギリスはお手本の国だと、いまだに思っているからにちがいありません。p150
★インドのバラモンたちは、この世には決して話題にしてはいけない愚問がある、と指摘する。 西洋が信奉してきた近代科学精神からすれば“飽くなき探求心”はすべて肯定されている。真摯に問いかけるかぎり、愚問はこの世にありえないはずであった。答えられないとすれば、悪いのは質問するほうでなく、答えられないほうである。
しかし、バラモンは愚問の存在を認め、14列挙した。
愚問はない、答えられないはずはない、という決めつけの根本にあるのは、「いまは答えられないが、答えは必ずある。科学はまだそこまで行っていないが、いまにわかる、答えてみせる」という姿勢である。だが、これはきわめて非科学的な考え方である。「いまにわかる」ということ自体が証明されていない。単なる思い込みか、または願望だから、それは非科学的だと言える。それは単に努力目標だと素直に認めないのは、“科学万能主義”という宗教である。
バラモンの14の愚問には、たとえば、「死んだらどこへ行くのか」というのがある。死後の世界がどうなるかを知るためにどうしたらいいかがまったくわからなければ、努力することもできない。手がかり1つないことを一所懸命努力することなどできはしない。「ただいま努力中」とも、「現在研究中」とも言えないのが本当である。
愚問が発せられたとき、お釈迦様は笑って答えなかった。あるいは、たとえ話で答えたという。そんなことは気にしないほうがいい、ということを相手が自分で悟るよう仕向けたという。お釈迦様は、「お前、それは愚問だよ」とは言わずに、それとなく相手に考えさせた。「愚問は自らをして悟らしめよ」というわけだ。p163-165
★「論語」に、「君子はこれを己に求める。小人はこれを人に求める」という言葉があります。君子は、起こしてしまったさまざまなことの原因は自分自身にあるのではないかと考えるが、小人は、その原因を他人に転嫁しようとする、というものです。
たとえば、何人かで共同作業をする。だが、うまくいかない。なぜだろう、と考える。こういうとき、人はまず、「自分は間違っていないだろうか」と考える。しかし、それは束の間のことで、自分にミスがないことを確認すると、安心してほかに原因を探しはじめます。自分以外のあれが悪い、これが悪いと、ほじくるほうに走ります。こういう人は、自分一人の仕事でも、失敗の原因を外に求めます。「俺が失敗したのは、たまたま運が悪かったからだ」「相手が悪いんだ」「教えてもらったやり方が悪かった」と、器用に自分を埓外に置く。しかし、失敗の責任をいくら他人になすりつけたところで、何のプラスにもなりません。それより、自分のどこが悪かったのか反省して、その短所を改め、長所を伸ばしていくほうが、ずっと建設的です。そうすれば、仮に一番悪かったのは別の人だったとしても、次からはそれを覚悟で企画したり、自分がその人の欠点を補うことができるようになるかもしれません。
ところが、失敗の責任を負うことがイヤなのか、それとも単に自分を悪く言われるのがイヤなのか、人のせいにしてしまう人が多い。どこまでいっても、人に責任を転嫁しながら同じ失敗を繰り返すのでは、人間として進歩がない。それは、本人もうすうすわかっているのだが、それを指摘されると、「俺だけじゃない」と答えるのが彼らの常である。同じような人は世の中にたくさんいるじゃないか。人間はそういうものなのだから仕方がないじゃないか。そう言って自分を正当化して、その場を切り抜けようとする。実はこういう人たちの話し方には共通点があります。彼らは、「私は……」「僕は……」という言い方をしません。「われわれは……」「私たちは……」と言う。「俺だけじゃない」「われわれ」は、彼と同じような「ふつう」の「みんな」である。p170-173
*そういう言い方をする人がいたら、自分の責任を自覚しようとしない小人だと思って間違いありません。
★しっかりした優先順位を持って生きている人は、人生の岐路でも強い意志を持って選択ができ、最終的に「納得のいく人生」が送ることができます。
自分がやりたいことを決めるのは、自分しかいません。まず、自分がやりたいことをノートに列挙しなさい。次に、それぞれに優先順位をつけなさい。そして、その最優先のやりたいことをやるために、どうすればいいかを考えなさい。
優先順位がはっきりすると、これは譲ってもいいだろうという判断ができます。たとえここでー歩譲ったとしても、その分、別の面でプラスを得る。つまり、肉を斬らせて骨を断つ式の、「賢い妥協」ができます。ところが優先順位がないと、延々と、なし崩し的に妥協するハメに陥ります。ところが優先順位を意識して生きようとすると、自分にとって「譲れない一線」もだんだん見えてくるようになります。
将来の夢は大きければ大きいほどいい。しかし、夢が大きければ大きいほど、場合によっては、会社を辞めたり、高額の投資をするなど、重大な決断を下さなければならない局面に至ることになる。そのとき、自分にとって本当に必要なものは何か、それと引き換えに失うものを捨ててまで追い求める価値があるものなのか(この際にモノサシとなるのは世間の価値観でなく、あくまで自分の価値観である)を判断する優先順位の考え方を持っておけば、中途半端でちぐはぐな選択をしないですみます。また、優先順位を整理した結果、仮に一時的にある夢をあきらめることがあったとしても、その次に来るチャンスを狙うこともできるのです。p198-201
★世に言う読書家は、いい本をたくさん読んでいる。いい本を選んで読む目も持っている。だが、彼らは決して、悪い本、駄目な本、つまらない本を読まないのではない。むしろ、人一倍悪い本を読んでいるから、いい本のよさもわかるし、いい本と悪い本を見分ける目も養われたのだ。大事なのは、まず「無差別に全部買って読むという精神」である。そもそも、無差別に全部読むことをしなかったら、それが自分にとって全部くだらないものであるという判断もできない。
紹介された“いい本”を読んで知る「得るところ」は、ともすれば紹介者の考える「得るところ」になりがちである。さらには、一般に言われ、定評となつた「得るところ」をなぞったものにもなりかねない。人から教えてもらつた「得るところ」に、その人の体験は偏っていく。
いずれにせよ、先入観にとらわれず、無差別・無選択に本を読むことで、その本が駄目なら駄目ということを自信を持つて言えるようになることは“収穫”である。
そうやって何事にも無差別に突っ込んでいくことによって、得るところがちゃんとある。それは自分の好みがハッキリ認識できるということである。それが自分自身を確認し、自分を形成していくことになる。自分を発見していくことにもなる。p209-210
*このメモは私が「得るところ」ですが、参考になりますでしょうか。
「技」エリック・シュローサー=楡井浩一訳「ファストフードが世界を食いつくす」
(草思社:2001.8.14第1刷1600円+税)より
★a.1940年代初めの南カリフォルニアのドライブイン食堂は、けばけばしく、道路からすぐ目につくように設計されている。自動車の普及により建物は地理的に隔てて作られ、派手で奇抜な建造物が多かった。なにしろ、猛スピードで走る自動車内の人間の目にとまらなくてはならない。新しいドライブインは注目を引こうと競い、ありとあらゆる視覚的誘惑物を用い、建物を明るい色彩に塗り、ウェイトレスにさまざまな衣装をまとわせた。駐車中の車にいる客に、食べ物のトレーを運ぶウェイトレス(『カーホップ』と呼ばれた)は、たいていはミニスカートをはき、その多くは愛嬌があった。彼女たち は固定の時間給をもらえず、売った商品ごとのわずかな歩合やチップを収入源にしていた。つまり、経済的な理由から、客に愛想よくふるまわざるをえなかった。ドライブイン食堂はたちまちティーンエイジの若者のたまり場となって、ロサンゼルスの若い文化にすんなり溶け込んだ。p27
★b.リチャードとモーリスのマクドナルド兄弟は、大恐慌が始まってすぐ、ニューハンプシャーから南カリフォルニアにやってきた。ハリウッドで大道具係として働き、資金を 貯めて映画館を始めたが、うまくいかなかった。1937年、兄弟はドライブイン食堂を開店し、3名のカーホップを雇って、もっぱらホットドッグを売った。数年後、大きめの店舗に移って、バーガーバー・ドライブインを開店する。店は高校に近く、20名 のカーホップを雇うほど繁盛し、兄弟に富をもたらした。1940年代の終わりごろ、マクドナルド兄弟はドライブイン経営に不満を抱くようになっていた。カーホップや調理係が給金のいい勤め口を見つけては店を去るので、その度に補充人員を探さなくてはならない。ティーンエイジの客が壊したり、くすねたりするので皿やグラスやフォーク類を補充しなければならない。そして、ティーンエイジの客そのものに、嫌気がさした。兄弟は食堂を売り払おうかとも考えたが、思いとどまつて、新しい方法を試すことにした。p30
★c.1948年、マクドナルド兄弟はカーホップを全員解雇し、3ヶ月店を閉め、新しい調理方式で新装開店した。ナイフ、スプーン、フォークを使う必要のある料理品目は、ことごとく取り払い、品数を以前の約3分の1に減らした。その結果、店で売るバーガー類は、ハンバーガーとチーズバーガーだけになった。また、皿やグラスも一掃して、紙コップ、紙袋、紙皿に取り替えた。鉄板を大型のものに替え調理をいくつかの工程に分けて、それぞれ別の人間に行なわせた。たとえば、ひとりがハンバーガーに火を通し、もうひとりがそれに「仕上げ」を施して包む。別のひとりがシェイクを用意し、もうひとりがポテトを揚げ、もうひとりが客の応対をする、といった具合だ。史上初めて、工場の組立ラインの原理が、飲食店の調理場に持ち込まれた。工程を分けたことで、ひとりの人間に、ただひとつの作業を教えるだけですんだ。金のかかる腕のいい調理係は必要ない。どのハンバーガーも、まったく同じ調味料と薬味を入れて売る。ケチャップにオニオン、マスタード、ピクルス一枚。これ以外のものは、いっさいなし。マクドナルド兄弟の“スピーディーサービスシステム”は外食産業に大変革をもたらした。しばらくして掲げられたフランチャイズ店募集広告が、このシステムの特長を余すところなく語っている。「考えてもみてください。カーホップとも、ウェイトレスとも、皿洗いとも、下げ膳係とも、もうおさらば。マクドナルドのシステムは、セルフサービスです!」
★d.スピーディーサービスシステムの滑り出しは順調ではなかった。客はまだ、列に並んで食べ物を受け取ることに慣れていなかったのだ。だが、数週間が経ち、ハンバーガーの安さと味のよさが口づてに広まるにつれ、新しい方式は人々に受け入れられるようになった。マクドナルド兄弟は、各層の拡大に乗り出した。女の従業員を雇うとティーンエイジの若者が店にたむろして、ほかの客を遠ざけると判断し、若い男だけを雇った。まもなく、家族連れがマクドナルドに列をなしはじめた。子供たちにせがまれて親が来るようになったのである。
★e.リチャード・マクドナルドは、食堂の新しい建物を、道路から目につきやすくなるように設計した。建築家としては素人だが、単純で覚えやすく、他の手本となるような意匠を考え出した。屋根の二面に金色のアーチをひとつずつ据えて、夜はそれをネオンで照らし、遠目にM字型に見えるようにする。広告と建造物とをさりげなく融合させて、世界有数の企業ロゴを生み出したのだ。p31-32
★f.ダイキンドーナツ、タコベル、バーガーキング、ケンタッキーフライドチキン・・いくつもの起業家がマクドナルドの店を訪れ、ファーストフードを始めた。1960年か ら73年の間にマクドナルドは250店から3000店に増大した。p34-37
★g.ファストフード店の従業員は、およそ3分の2が20歳未満である。アメリカで、これほど若者が職場を占有する業界はほかにはない。ティーンエイジャーが朝、店をあけ 夜には店を閉め、その間ずっと店を切りまわしている。店長や副店長でさえ、10代後半という場合もある。ファストフード店の調理場では、小人数の安定した従業員に、それなりの賃金を払って教育をするより低賃金でも喜んで働く非熟練のパートタイム労働者を求めている。そういう仕事には、ティーンエイジャーがうってつけだ。成人を雇うより安くあがるだけでなく、人生経験が浅い若者なら、管理もしやすい。ファストフード業界が手本とするのは、流れ作業による大量生産方式である。そこでは“生産量”を高めることがなにより大切だった。生産量を高めるには、労働者の数や機械の価値よりも、流れ作業のスピードと仕事量のほうが、はるかに重要な尺度になる。技術を革新し、作業をうまく組織化すれば、労働者の数が少なくても、大量の製品を安く作ることができる。生産量は、流れ作業のスピードを上げ、作業の手を早めてより多く作ることに、すべてがかかっている。マクドナルド兄弟が開発した管理技術は、この半世紀を通して広く採用され、改良されてきた。流れ作業方式の基本である核の部分は、今も変わっていない。生産量を第一義とするファストフード業界のやりかたは、何百万というアメリカ人の働きかたを変え、大規模な調理場を小さな工場に、食べ慣れた食品を大量生産の商品に変えた。
★h.バーガーキングでは冷凍のハンバーガーパティをベルトコンベヤーに乗せると90秒後には焼きあがった状態で調理具から出てくる。ピザハットとドミノ・ピザでも、焼き時間を一定にするため、オーブンにはベルトコンベヤーを使っている。マクドナルドのオーブンは、クリーニング屋のプレス機に似た形で、スチール製の大きな蓋を下げると、ハンバーグの両面が同時に焼ける。製品はすべて冷凍の状態でマクドナルドの店に届けられる。タコベルでは、商品を調理するというより「組み立て」る。ソースは、メキシコの工場で作られ、冷凍されてアメリカヘ送られる。タコス用の肉は、あらかじめ焼いたものをビニールの真空パックに入れて各店に届ける。豆は乾燥させてあり、お湯を加えればいい。
★i.労働を分割する方式を飲食店業界に採り入れたのは、リチャードとマックのマクドナルド兄弟だが、並はずれて徹底的で詳細な生産方式を考え出したのは、フレッド・ターナーというマクドナルド経営者のひとりである。1958年、ターナーは会社の操作用マニュアルと教育用マニュアルをひとつにし、ほぼすべてのやりかたを詳しく記した75ページのマニュアルを作った。ハンバーグは必ず6列にきちんと並べてグリルに置くこと。フライドポテトの厚さは7ミリちょうどであること。現在、マクドナルドの操作マニュアルは、ページ数が当時の10倍になり、重さは2キロ近い。それには、さまざまな器具の使いかたや、メニューの各商品をおいしく見せる方法や、客へのあいさつのしかたが細かく指示されている。その規則に従わない経営者は、フランチャイズ契約を取り消されることもある。調理方法の指示は、マニュアルに印刷してあるほかに、機械にも組み込まれていることが多い。マクドナルドの調理場には、そこかしこに、手順を教えるブザーや点滅ライトが見られる。接客カウンターでは、コンピュータ化されたレジが自動的に指示を出す。注文が入力されると、ボタンがいくつか光って、客が追加注文しそうな商品を教える。カウンターの従業員は、新発売の商品を勧め、デザートを食べる気にさせ、大きめのドリンクのほうが得だと教えることで、注文の量を増やすよう指示される。その間も、接客態度は明るく親しみやすくなければならない。「笑顔であいさつし、第一印象をよくすること」バーガーキングの教育マニュアルには、そう書かれている。「お客さまに会えてうれしいという態度を見せる。目を見て、元気よくあいさつすること」
★j.ファストフード業界が徹底した管理を行なっているのは、製品を規格化するためだ。そうすれば、生産量も上がる。経営者が、業務手順をひとつひとつ明確に決めておけば、そして、仕事のペースや商品の量や質や取り扱い方法に関して独自の規則を課しておけば、従業員はどの仕事でもできるようになる。経営者は、もはや従業員の能力や技術に頼ることはない。能力も技術も、管理システムと機械に組み込まれているからだ。“脱 技術力”化された仕事なら、誰にでも楽にできる。従業員をたやすく取り替えられるおかげで、ひとりひとりを職場に定着させる必要がぐんと減った。
★k.ティーンエイジャーは、長いあいだファストフード業界に多大な労働力を提供してきた。彼らは、こういう低賃金の職場には理想的な存在だった。たいがいは親の家で暮らしているので、大人が自活するには少なすぎる給料でも働けたし、技術なしでできる仕事に魅力を感じる労働者が、ほかにはあまりいなかった。ファストフード店で働くことで、アメリカ人は転職の習慣を身につけ、よりよい仕事を見つけたら、最初の仕事をすぐに辞めるようになった。ファストフード業界は労働時間の自由がきくため、副収入が欲しい主婦も働きはじめた。ティーンエイジャーの数が減ると、ファストフード・チェーンは、移住してきたばかりの住人や年配者、障害者といった社会の隅にいる人たちを雇用している。p96-99
l.トーマス・ジェファーソンがパリ仕込みの“ポム・フリット”のレシピをアメリカに持ち帰ったのは1802年のことだが、フレンチフライ(フライドポテト)がこの国であたりまえに食べられるようになったのは1920年代に入ってからだ。フライドポテトが一般のアメリカ人に広まったのは、第一次大戦下のヨーロッパで味を覚えた復員兵たちと、その後1930年代から40年代にかけて発達したドライブイン食堂のおかげだ。フライドポテトならフォークとナイフを添えなくていいし、車を運転しながらでも食べられる。マクドナルド兄弟のハンバーガー店が大当たりしたのは、ひとつにはフライドポテトの出来が上々だったからで、兄弟は工夫を凝らして、かりっと揚がったフライドポテトを作るシステムを編み出していた。マクドナルドでは、細切りにしたラセット・バーバンク種を、油温を常に163度以上に保つ特製の揚げ器で揚げていた。チェーン網が拡大するにつれ、どの店でも同じ外見で、同じ味のフライドポテトを提供するのは、しだいにむずかしく、同時にますます重要になっていった。1965年、J・R・シンプロットはマクドナルドにフライドポテトを冷凍品に切り替えるよう提案する。翌年、マクドナルドJ・R・シンプロットの冷凍フライドポテトを店舗で販売する。顧客は味の違いにまったく気づかなかった。そして冷凍品を利用したぶんコストが圧縮され、おかげでフライドポテトの利幅はメニューの中で1、2を争うようになった。ハンバーガーよりも、ずっと割がいい。シンプロットはマクドナルドのフライドポテト主要納入業者となる。シンプロットは自社製フライドポテトを他のファストフード・チェーンにも販売し、これがファストフード業界の成長を加速させ、この国の食習慣を変えていく。1960年の統計によると、平均的なアメリカ人は一年間に生鮮じゃがいもを約36キロ、冷凍フライドポテトを約2キロ食べている。今日、平均的アメリカ人は生鮮じゃがいもを年間約22キロ食べ、冷凍フライドポテトを13.5キロ以上食べる。フライドポテトの90%は、ファストフード店で購入される。実際、フライドポテトはアメリカの食品サービス市場で最大の販売品目となった。p154-156
★l.料理界の権威、ジェームズ・ビアードはマクドナルドのフライドポテトが大好きだった。顧客も、ライバル会社も、その風味を賞賛してきた。あの独特の風味がどこから来るかというと、かなりの部分まで揚げ油で決まる。数10年間というもの、マクドナルドはほぼ大豆油7に対して牛脂93の混合油でフライドポテトを揚げていた。この混合こそ、マクドナルドならではの風味を帯びたフライドポテトの秘密だった。キロ当たりの飽和牛脂肪の量がハンバーガーを上回るフライドポテトの秘密でもある。フライドポテトのコレステロール値の高さに対する非難の大合唱が始まり、1990年、マクドナルドは揚げ油を純正植物油に切り替えた。切り替えにあたって、ある大問題と向き合う。ほのかにビーフ風味を帯びたフライドポテトを、牛脂を使わずにどうやって作ればいいのか?マクドナルドが現在フライドポテトの調理に使っている原材料のリストを見ると問題がどう解決されたか、答えのヒントが見つかる。リストの末尾に、一見なんの害もなさそうな、だが妙に意味深長な、ある名称が見られる。《天然香料》。マクドナルドの冷凍フライドポテトと調理油は、いずれも天然香料を含んでいる。この事実は、フライドポテトがなぜうまいかを説明するだけでなく、ほとんどのファストフードの、というより、今日アメリカ人が口にしているほとんどの食品の風味がどこから来るか、理解するカギとなる。食料品に印刷されたラベルを見てみよう。おそらくほとんどの食品の成分表示に「天然香料」ないし「人工香料」の文字が、記されているだろう。香料を大きくふたつに分けたこの名称は、その違いよりも、似ている部分にずっと大きな意味がある。どちらも人間がこしらえた添加物で、これが加工食品のほとんどに風味を与えている。p163-165
★m.匂いはときに、食べ物の風味の実に90%までを決めることがある。人間の舌の味蕾は、甘味、酸味、苦味、塩味、渋味、旨味などの基本味を感知できる。だが味蕾のセンサーは、人間の嗅覚に比べれば、限られた能力しか与えられていない。嗅覚にはじつに数千種類に及ぶ匂い物質を感知する能力がある。実際、“香り”とはそもそも、口に入れた物質が放射するガスの匂いにほかならない。ものを飲む、吸う、あるいは噛むことで、物質から揮発性ガスが放出される。ガスは口から鼻腔ヘと、口の奥から鼻へと抜ける通路を昇っていき、嗅粘膜と呼ばれる神経細胞膜へとたどり着く。脳はこの嗅粘膜が発する複雑な匂いシグナルと、舌が発する単純な味シグナルとを結びつけ、口の中の物質の風味を決定し、それを食べたいかどうかを判断する。食べ物の好みは、人格と同じく、人生の最初の数年間に、社会の一員となる過程で形成される。よちよち歩きの赤ん坊が何を好きになるかは、周りの大人たちが何を食べているかで決まる。人間の嗅覚にはまだ謎の部分が多く、心理的な要因や期待感にも大きく左右される。人間は、悪臭にも芳香にも慣れることができる。一時は気になってしかたがなかった匂いが、やがて気 にならなくなる。また匂いと記憶とは、どういうわけか分かちがたく結びついている。子どものころに親しんだ食べ物の匂いは、人の心に一生消えない跡を刻みつけるらしく、大人になってもよくそこへ戻っていく。こうした“心地よい食べ物”は、喜びや安心感を得るよすがとなる。子ども時代の“ハッピーセット”の思い出が、マクドナルドに足しげく通う大人の顧客を作り出す。いわゆる“ベビーユーザー”と呼ばれる顧客層で、彼らは週に4、5回、マクドナルドで食事をする。
*著者は取材で香料化学者に香料のいくつかを試させてもらう。目を閉じ、香水テスティング用の濾紙を鼻の下にあてがう。そして深く息を吸う。食べ物のイメージがひとつ、またひとつ、立ち現われる。さくらんぼ、黒オリーブ、炒めたタマネギ、エビ……。なかでも調香師の力作は、著者を仰天させる。目を閉じたとたん、焼きたてのハンバーーグの匂いが鼻を襲った。ちょうど同じ部屋で誰かが、熱々の鉄板の上でハンバーグをひっくり返していれば、こんな匂いがする。ところが、目を開けるとそこには、細長く白い紙片と、笑みを浮かべた調香師がいた。p177-178
★n.ハーバード・メディカルスクールによる化学成分分析によると、1983年に販売されたチキンマックナゲットの“脂肪酸の性格”は鶏肉よりも牛肉に近かった。フライドポテトと同様、牛脂で揚げていたからだ。マクドナルドはじきに植物油に切り替え、生産過程で“ビーフエキス”を添加して、おなじみの風味をつけるようになった。そして今も、その風味のほとんどをビーフ添加物に頼っている。1キロ当たりの脂肪分は、ハンバーガーの倍に相当する。p194
★o.1961年、マクドナルドのフランチャイズ権を売って歩いたレイ・クロックはマクドナルド兄弟からスピーディーサービスシステムを譲り受け、それを国じゅうに広めて、ファストフードの一大帝国を築いた。1972年、クロックはニクソン大統領の再選運動に25万ドルを献金し、それを少額の寄付金に分けて、あちこちの州や地元の共和党委員会にばらまいた。この年、ファストフード業界は議会やホワイトハウスに働きかけて、新しい法律を可決させようとしていた。マクドナルド法と呼ばれる法律で、16ないし17歳の従業員に対し、最低賃金よりも20%低い給料を支払うことを認めるものだ。献金当時、マクドナルドの従業員の時給は、およそ1ドル60セントだった。最低賃金以下の賃金を認める法案が可決すれば、その時給を、1ドル28セントにまで減らせることになる。ニクソン政権は、マクドナルド法〃を支持し、マクドナルドがクォーターパウンダーを値上げするのを黙認した。このような強制的賃金物価統制は、ほかのファストフード・チェーンをも拘束することになった。p49.p133.p54-55
★p.マクドナルド社では、食品の調理法や備品の購入や店のデザインをはじめ、ごく細かい点まで、各店の経営者に従わせている。決められた項目はすべてを網羅し、ピクルスの厚さから紙コップの円周にまで至る。ところが、賃金の額となると、会社は極端に口出しを控え、無干渉主義を示す。経営者が各地方の相場に合わせて賃金を決められるようにし、その結果、全従業員のほぼ4分の3を占めるパートタイム労働者に対して、会社は法的責任を負わずにすむ。マクドナルドは、勤務時間を分散させることで、従業員の組織化を阻んできた。1960年代の終わりから70年代初めにかけて、全米各地のマクドナルド従業員が、労働組合を立ち上げようとした。それに対して、会社側は事を荒立てない方法を考え出し、組合を作らせまいとした。組合結成の気配があると、すぐさま経験豊かな店長や重役からなる機動隊を、店に派遣する。一見形式張らない気さくな集まりを開き、不満を持つ従業貝を参加させる。従業貝は、思っていることを話すよう促される。そして、なだめられ、おだてられる。さらには、組合結成の計画や、結成に協力的な従業員の名前をしゃべらされる。集まりを開いても、じゅうぶんな情報が得 られなかった場合、会社側はおだてをやめ、より直接的な手段に移行する。1997年2月、ある店の従業貝が団結し組合に加入することになった。4分の3以上の店員が組合員証にサインし、労働監督官は、組合の資格証明のための最終審査の日取りを1998年3月10日とした。経営者は、その最終審査の数週間前、2月12日になって、店を閉鎖することにした。従業員がそれを知らされたのは当日で、次の日、13日の金曜日に、店は営業を停止した。地元の組合幹部は激怒した。マクドナルド側は、店の閉鎖と組合の件はなんの関係もないと主張した。組合結成運動のさなかにマクドナルドの店が突然閉まるのは、それが初めてではない。1970年代の初め、ミシガン州ランシングの店で、従業貝たちがうまく結束しはじめていた。ところが、いきなり全員が解雇され、店は閉鎖されて、1ブロック先にマクドナルドの新しい店ができた。組合員証にサインしていた従業員が再雇用されることはなかった。この戦術は、きわめて効果的だったようだ。本書執筆の時点で、北米のマクドナルド店およそ1万5000店の従業員で、組合に参加している者はひとりもいない。p106-109
★q.巨大な肥育場に詰め込まれた牛たちは、ほとんど運動もできずに、糞尿にまみれて育てられる。本来あるべき環境から切り離された肥育場の牛たちは、あらゆる病気にかかりやすくなっている。そのうえ、牛たちが食べさせられる餌が、病気の蔓延に貢献している。より安い餌、特に牛の成長を速める高タンパクの飼料が求められ、1997年8月まで日常的に畜産廃棄物を食べさせられていた。猫や犬の死骸までが、動物保護施設から買い取られ、飼料にされていた。「狂牛病」大発生の原因になっていることが、イギリスの例からわかったため、こういう慣行は、食品医薬品局によって禁止された。にもかかわらず、食品医薬品局の現行規定において、豚や馬の死骸は、食鳥類の死骸とともに、牛の飼料として与えてもよいことになっている。敷きわら代わりのおがくずや古新聞を含め、鶏舎から出る廃棄物までが、牛の餌になっている。感染した牛から病原体が撒き散らされるのは、肥育場の中だけではなく、食肉処理場や挽肉工場の中でも同じだ。食肉処理場の中でも特に肉の汚染が起きやすいのは、牛の外皮を剥ぎ取るのと、消化器官を取り除く工程だ。現在、外皮は機械が剥ぎ取るが、もし外皮がじゅうぶん洗浄されていなかった場合、泥や糞の塊が肉の上に落ちるかもしれない。胃袋や腸管を牛の体内から取り除くのは、今も手作業で行なわれる。注意を怠れば、消化器官の中身が、まわりに飛び散ることになる。生産ラインの速度がどんどん上がり、この作業は以前より格段にむずかしくなっている。「腸テーブル」担当の労働者は、1時間に60頭もの牛の腸抜きをする。この仕事をきちんとこなすには、かなりの技量が必要だ。経験不足だと糞便が撒き散らされることになる。ネブラスカ州レキシントンのIBP食肉処理場では、腸テーブルで中身がこぼれる割合が、2割という高率に及んだことがある。たったひとつの過ちが、すぐに増幅される。何百もの枝肉がライン上をすばやく動いていくからだ。包丁は数分ごとに洗浄・除菌するよう義務づけられているが焦っている従業員は忘れがちだ。汚染された包丁は、触れるものすべてに細菌を付着させる。わが国の食肉処理場で働く、多くの場合読み書きのできない、働き過ぎの労働者たちは、衛生管理の重要性を必ずしも理解していない。近代的な加工工場は、一日に350トンもの挽肉を生産することができ、それが全国に出荷される。O‐l57に感染した牛1頭が15トンの挽肉を汚染することになりかねない。p280-283
*IBPの従業員たちは、欧州連合(EU)向けの牛肉を加工する日が好きだと語っていた。EUは輸入肉にきびしい基準を設けており、会社側も、より慎重な作業を行なうために、ラインの速度をゆるめるからだという。食肉処理場の衛生状態を改善するためにまず一歩踏み出せば、食肉業就労者の傷害率を下げるという別のメリットも生じるだろう。ちなみに、オランダの食肉処理場の平均ライン速度は、1時間に100頭以下だが、アメリカの平均速度はその3倍以上だ。IBPの従業貝たちが「EUデー」が好きなのは、ふだんと違って人間らしいペースで作業ができ、怪我も少なくなるからだ。p369
★r.2000春、マクドナルドはラム・ウエストンとJ・R・シンプロット社に対し、遺伝子組み替えじゃがいもを使った冷凍フライドポテトは、今後一切購入しないと通知した。二社は生産農場に、遺伝子組み替えじゃがいもの植え付けを停止するよう命じた。ファストフード業界のお偉方はビジネスマンだ。消費者の抗議にはすばやく対応する。もし我々消費者がもっと安全管理に力を入れるよう正しい圧力を正しい方法で加えれば変革をもたらすことも可能である。p375-376.p373
「体」外山利通著「牛乳神話完全崩壊」(メタモル出版:2001.1.25第1刷1300円+税)より
★母乳は母親の血液からできています。子牛の母乳である牛乳は牛の白い血液です。
牛の赤ちゃんの静脈に母乳の牛乳を注射しても何でもありませんが、人間の母乳を注射したらたちまち死んでしまいます。そういう実験報告があるそうです。赤ちゃんにとって母乳は完全栄養食品なのですが、他の母乳は異種たんぱくでしかありません。p15.p36
★哺乳類は「離乳機構」というものをもっていて、子どもの方から自然に乳離れをします。具体的にはミルクに含まれる「乳糖」(ラクトース)を分解する酵素「ラクターゼ」の活性が低下します。乳糖が消化されないと腸内発酵を起こしてお腹の具合が悪くなります。、お腹がコロゴロして下痢をしたり、悪玉菌が増えて悪さをしたりします。それで哺乳類の赤ちゃんは、独りでにおっぱいから離れて、自分で餌を探すようになっていきます。
哺乳類の赤ちゃんは生まれた直後から体温が高いので、すぐに高脂肪・高たんぱくの栄養を与えないと死んでしまいます。そのために神様が用意してくれたのが、おっぱいなんです。赤ちやんは乳房にすがりついてどんどん成長しますが、、いつまでも温かくて高栄養のミルクにしがみついていたらどうなりますか。自分で餌を探す能力が発達しませんし、外敵が襲ってきたときに親子ともどもやられてしまいます。だから、神様は子どもに反ミルク体制という「離乳機構」をつくって、乳離れをさせるんです。だから、人間が離乳期後も子どもに牛乳を飲ませたり、大人になってからも飲み続けるのは、まったく自然の摂理に逆らう行為なんです。p44-46
★乳糖を分解できない生理症状を「乳糖不耐症」といいますが、これは人間としてごく当たり前のことで、牛乳を飲めること自体が不自然なのです。確かに日本に牛乳文化をもち込んだ欧米人には、牛乳や乳製品を飲食してきた歴史があります。哺乳類本来の生理機構と相反することですが、これは「反ミルク体制の遺伝子機構が弱くなった民族」ととらえるべきです。つまり、人類の歴史の過程で大人になってもミルクを飲める民族が生まれたのです。「心臓」や「腎臓」は臓器の機能に人種差はありません。ところが、小腸は食生活に強く関係しているので、その機能に人種差があるのです。人間は火を使い、住居をつくることによって霊長類の生活圏ではない寒冷地でも生活できるようになりました。そうした地域では植物や穀物を中心とする本来の食物が十分に穫れないために、やむを得ず牧畜を営み、牛乳・乳製品・肉類などを食べなけれはならなくなりました。そうした生活の中で離乳の遺伝機構が変異を重ねて弱まっていったと考えられます。こうして、主として牧畜を行う民族では大人になってもラクターゼの活性があるのです。 p46-48
*生きるため「卵」を横取りする動物はたくさんいるが「乳」を横取りするのは人間ぐらいである。
★日本人の95%が乳糖不耐症といわれています。成人になれば、分解酵素はほとんど働きません。日本人の場合、牛乳を飲んだとしてもせいぜい200㍉㍑がいいところでしょう。欧米人の大人は1日2㍑以上を飲むことができますが、そういう状態の人はもう完全にミルクに依存するようになります。牛乳には、約5%の乳糖が含まれていますが、欧米人はそれを平均50g分解できます。弘前大学医学部の研究グループが日本人のミルク耐性を調査したところ、乳糖を20g~25gも分解できる人は少ないという結果でした。つまり日本人は欧米人の半分以下も分解能力がないことになります。p48
★カルシウムは野菜でも海草でも小魚でも牛乳でも何でも構わない。差がないのだから何が何でも牛乳からでないと摂取できないということはないのです。
カルシウムを含む食品は何を食べてもいいのですが、実はカルシウムの摂取率を決めるカギは脂肪酸です。吸収作用の際に脂肪酸があると、カルシウムは非常に溶けにくくなり、吸収されずに体外に排出されてしまいます。バターつきのパンと、ジュース、水(牛乳)という組み合わせの欧米人の朝食には脂肪酸が多く、でんぷんなど糖分を主体とした東洋人型の穀物食と比べカルシウムの吸収がガタッと落ちてしまいます。p54
★いまの子どもたちは信じられないほど大量の牛乳を飲んでいます。たとえば、牛乳を1日500ml飲んだとすると、500mgのカルシウムが補給される代わりに、250kca|もの熱量が体に入ります。その分、カルシウムの多いほかの食べ物がとれなくなります。「水代わりの牛乳」なんてとんでもない。水分はお茶か水に限ります。カロリーがないから、いくら飲んでも食欲は落ちません。子どものカルシウム補給には、牛乳の22倍のカルシウムを含んだ煮干し、7倍のこんぶでダシをとったみそ汁がうってつけです。p57
★生まれたばかりの子牛は、すでに体重が50kgもあり、人間の大人並みの大きさです。成牛となる2年後には10倍以上にも成長します。そのスピード成長を支えているのがカルシウムとリンです。これらが骨格をつくり、カゼインなどのたんぱく質が肉となります。牛乳は子牛を早く大きくするための栄養素なのです。これを人間の赤ちゃんが大量に飲ませたらどうなるでしょう。ゆっくり成長する人間の赤ちゃんにとっては過剰な成分となります。赤ちゃんの体内に入った余分なものは消化不良を起こし体外に排出されます。その結果、腎臓などにも負担がかかり、病気のもとにもなってしまいます。牛乳にはたんぱく質が母乳の2.6倍も含まれていますが、糖質をみると逆に母乳の方が2倍ほど多くなっています。発育の早い動物ほど、たんばく質やミネラル濃度が濃いのですが、人間のように成長がゆるやかな動物の場合には、たんぱく質が少なく、その代わりに生きるためのエネルギーを確保する糖分が多くなっているのです。p65
★このあいだ私の病院へ来た高校3年生は、身長が184センチで、体重が54キロ。自然気胸(肺に穴があく病気)を起こして、肺がパンクしたんです。あまり身長が伸びると肺が上に引っぱられる。それと同時に内臓下垂で下へも引っぱられて、肺は挟みうちにあってパンクしたんじゃないかと私は考えているんです。ただ大きいのがいいという思想ですからね。背の高い自然気胸の連中は、みんな肋骨が細いんです。腕なんか、もう自転車のハンドル並みです。これは日本全体で、もう一度考えなおさないといけないと思うんです。p79
*いくら背が高くても自然気胸では「成長」とは言えない。しかし、スポーツ競技には、身体の大きい人、背の高い方が有利なものが多い。
★世界中で最も牛乳を飲んでいるノルウェー人の骨折率が日本の5倍であることは、意外に知られていません。昭和33年に学校給食に牛乳が導入されて以来、子どもたち骨が弱くなり、骨折や虫歯などが増えてきていることは否定できない事実です。p87
★最近、路上や広場などにうずくまっておしゃべりをしている若者たちの姿が目立ちます。こうした“ジベタリアン”には実は《元祖》があります。誰かって?動物園へ行くと、オリの中で1日中、ゴロッと寝そべっているではありませんか。肉食動物であるライオンやトラは、草食動物の牛や馬やキリンのように、ずっと立ち続けて行動することができないんです。いつもぐったりして顔色が悪い。疲れきったようにゴロゴロしている。 落ち着きがなくすぐにキレる。もっと危険な症状の子どもたちも増え続けています。p88
★乳牛というと、年中乳を出していると勘違いしている人が多いんですが、ほかの哺乳動物と同様、子牛を産んでからでないと、乳は出ません。牛は生後1年半から2年で子牛を産める成牛(もちろん雌のみです。雄は食肉製品として処理)になります。人工的に種付けされると、280日の妊娠期間を経て出産し、生乳を出します。牛によって多少の違いはありますが、健康なら1年に1回のお産ができます。乳の量は出産後20日から30日ぐらいが最も多く、その後少し落ちます。出産後30日から90日ぐらいの間に人工授精で次の種付けをしてしまいます。搾乳(乳しぼり)は出産から300日ぐらいまで行われ、牛は休む間もなく次の出産を待ちます。種付けから280日後には、また子牛が産まれ、出てきた乳を搾乳することになります。従来はこれを5~10回程度繰り返すのが酪農の一般的なスタイルでした。ところが、いまでは3産か4産で廃牛(肉 牛として処分)されることが当たり前になってしまいました。牛乳の生産量を増やすためアメリカで改良された乳量の多い高泌乳牛が輸入され、栄養分の多い濃厚飼料で飼うようになりました。1頭当たりの乳量は飛躍的に増えましたが、牛の負担も大きく体をこわしやすくなっています。省力化による多頭飼育により管理が行き届かず、牛の病気も多くなっています。
25年ほど前は1頭当たりの乳量が年間4300kgぐらいでしたが、ホルスタインなどの高泌乳牛になって平均で6000kg以上、乳量が年間1万kg超、2万kg以上も乳を出すスーパー乳牛さえいます。
しかし、こうした乳牛は昔のように草や粗飼料を食べて体内で牛乳をつくっているのではありません。牛には4つの胃袋があって、ふつう最も大きい第lの胃(ルーメン)にいったん食物をためた後、反芻(はんすう=噛み直し)して、3つの胃袋へと順次送り込んでいきます。ルーメンでたくさん繁殖している微生物が食物を分解し、その代謝産物である脂肪酸が牛のカロリー源になります。大量の微生物は牛にとって反芻する必要のない貴重なエサとしてルーメンから第3、第4胃へ送られ消化されます。牛がもともとのエサである草だけで、肉や魚などの動物たんぱくを食べなくても立派な体になって生きていけるのは、この微生物という栄養源があるからです。
ところが、高泌乳牛の場合には濃厚飼料の大豆たんぱくなどをルーメンで徴生物たんぱくに変換しないで、直接第3、第4胃へ送り込みます。つまり、反芻しないで単胃動物と同じように消化・吸収しています。体を維持するための最低限の粗飼料しか与えられず、牛乳をつくる栄養分として大量の濃厚飼料を食べ続けます。いくら高泌乳牛といっても骨身を削って乳を出さなければいけないから長生きしません。短命になったばかりか、産前・産後に起立不能症になったり、乳房炎などにかかる牛が急増しています。いまや日本の乳牛の実に約半数までが乳房炎に冒されている、という専門家の報告さえ出 されているのです。p92-95
★牛乳が完全栄養食品としてもてはやされたのは、「牛乳のカルシウムは吸収率が高い」とされていたからです。この説のもとになったのは兼松データと呼ばれるもので、昭和27年(l952年)に発表されました。それによれば、カルシウムの吸収率は牛乳で平均値50%、同じく小魚30%、野菜17%というものです。これをみると牛乳がダントツなのですが、極めてずさんな調査だったことがその後明らかになりました。この調査の実体は、わずか4人の成人男子を4日間調べただけというお粗末極まりない内容だったのです。しかし、国や乳業会社はその後40年以上にわたり、どうみても科学的とはいえないこのデータをキリ札として牛乳神話を振りまいてきました。
そこでl992年に国立公衆衛生院の梶本雅俊氏を中心とするグループが、40年ぶりの比較試験を実施。牛乳39.8%、小魚32.9%、野菜19.2%という結果で数値は大幅に接近していました。p128-129
★「牛乳=カルシウムの宝庫=骨が丈夫」という図式に象徴されるように、牛乳神話は戦後、あらゆる形のキャンペーンを通じて展開され、意図的につくられました。それは行政や企業の力のみで成立するものではありません。いわゆる「学識経験者」の推奨が後押ししています。岡庭昇氏は次のように語っています。
行政は企業が倒産しないようにその時々に手を打っている。国民は何も知らないから、行政のいうことをそのままうのみにしてしまう。それを推進するのは、タチの悪い学者たちである。彼らは擬似科学主義を食い物にする輩だ。お墨付きを行政に与えてバックアップしている。この種の人間は、明治以降科学信仰と学者信仰があるのでそれにつけこんでいるわけだが、そういった人たちには、信じられないくらいモラルというものがない(「これでいいのか日本の食卓」の製作をふりかえって/状況と主体l987年2月号)p129-130
*2001年3月にYTAメモで幕内秀夫氏の「粗食のすすめ」を紹介したところ、メモを読まれた方から上記著書をご紹介いただきました。離乳の遺伝子が変異したから大きくなっても「乳」が飲める。これは牛乳神話を崩壊させるすごい指摘、と私は思いました。牛乳の飲み過ぎに注意しよう、と思う反面乳製品はあちこちにあふれています。ヨーグルト、バター、チーズ、アイスクリーム、etc・・・これらをすべて口にしないでおこう、とまでは思いません。しかし、欧米人のように牛乳が飲めないことを心のどこかで卑下していた自分の自信回復につながりました。みなさんは牛乳についてどう思われるでしょうか。なお、母乳でおもしろい記事を見つけたので次にご紹介します。
☆「何にでもかみつく」(12日付)と、お悩みの方に。2001.8.19中日新聞
うちの息子も乳首にかみつくなど同じでした。助産院で相談すると原因が「おっぱいがまずいから」と分かりました。赤ちゃんは本来、簿くあっさりした味のおっぱいが好きです。味は母親の食生活次第です。私も自分の母乳を味見してみましたが、特にタンパク質を取り過ぎた後のおっぱいは、においも味もひどいものでした。
和食主体、粗食を心掛けるようになつて、かまなくなりました。おなかが満たされると機嫌もよくなり、ほかのものにもかみつかなくなりました。
時々油断して暴飲暴食をすると、決まっておっぱいをかまれます。赤ちゃんが出しているサインと思います。かむことは、満腹のサインではありません。(岐阜県本巣郡、36歳)