20世紀を生き抜くための「心」・「技」・「体」その40
「心」エレナ・ポーター著/村岡花子訳「少女パレアナ」より「なんでも喜ぶゲーム」について
「心」エレナ・ポーター著/村岡花子訳「少女パレアナ」より「なんでも喜ぶゲーム」について
★a.パレアナ(Pollyanna)はエレナ・ホグマン・ポーター(Eleanor Hodgman Porter:1868-1920)が1913年に出版した小説の主人公(昭和37年7月20日初版、同61年1月30日改版初版発行:角川文庫480円+税)。ウェブスター辞典にも喜びを意味する普通名詞(固有名詞ではない)として掲載されているという。なお、自宅にあった小学館ランダムハウス英和大辞典(パーソナル版昭和50年12月1日発行)には「(ばかばかしいほど)盲目的で極端な楽天家。エレナ・ポーター作の小説の女主人公に由来する」と解説されていた(パレアナをどう見るか、b以下のメモを読んで御判定ください)。
★b.物語は牧師である父と二人暮らしをしていたパレアナ(11歳)が、父の死により孤児となり、ヴァーモント州のベルデングスヴィルに住む母方の叔母パレーに引き取られるところから始まる(冒頭の設定は1908年に出版されたモンゴメリ著「赤毛のアン」によく似ている)。
★c.事情があってパレアナの父と没交渉となっていたパレーは、養育の義務として彼女を引き取り、殺風景な屋根裏部屋を与える。調度品を壊したりすることのないようにという配慮からであったが(p32)、パレアナは鏡がないのをソバカスが見えないといって喜び、他の部屋のようにカーテンと敷物と絵の額がなくても窓から見える景色が絵よりもいいといって喜ぶ(p35)。夕食に遅れ、罰としてお手伝いのナンシーと台所でパンと牛乳だけの夕食になっても「パンと牛乳が好きだから」うれしい、ナンシーといっしょに食べられるからうれしいという。「あなたは何でも喜べるらしいですね」とナンシーに言われ「なんでも喜ぶゲーム」をしているのだと種明かしをする。
★d.ゲームは「喜ぶことをなんの中からでもさがして喜ぶ」というもので「喜ぶことのほうを考えると、いやなほうは忘れてしまう」「喜ぶことをさがしだすのがむずかしければむずかしいほどおもしろい」という。
★e.ゲームを始めたきっかけはパレアナが人形を欲しがり、父が教会本部へ頼んだところ人形がこないで松葉杖がきてしまった。同封された手紙には「人形がないから杖を送る、だれか杖のいる子もあるだろうから」と書かれていた。父は「なんでも喜ぶゲーム」を提案し、松葉杖から喜ぶことを教えた。それは「杖を使わなくてもすむからうれしい」というもので、パレアナはそれ以来ずっとゲームを続けており、ナンシーは「あたしはあんまりうまくはできないんですが、ごいっしょにやりましょう」と申し出て、ベルデングスヴィルで「なんでも喜ぶゲーム」の最初の実践者となった(p41-44)。
★f.なんでも喜ぶというのは「ゲーム」なのでパレアナの本心とは必ずしも一致しない。ナンシーにゲームの話をした後、彼女は床についた屋根裏部屋でシーツに顔をうずめ泣きながらこうつぶやく。「お父さんあたしはちっともゲームをうまくやっていません。まるでだめです。でもお父さんだってこんな暗いところにあげられて、眠るんだったらなんにも喜ぶことなんかさがせないと思います。ナンシーか叔母さんかどっちかのそばだったらいいんだけど、婦人会の人だっていないよりいいわ」(p45-46)
★g.このゲームには終わりがない。続けているうちに、ゲームをやっていることを忘れてしまう。自分の名前を好きになれないと嘆いたナンシーを「ヘプジバって名でなかったのを喜びなさい」と励ましたパレアナはゲームをしていらしたのですか、と聞かれこう答えている。「あたしはいま知らないうちにやってたのよ。やっていることに気がつかずにね。ときどきそういうことがあるのよ。なれてくるとね。なにかしら喜ぶことを自分のまわりから見つけるようにするのよ。だれでも本気になってさがせばきっと自分のまわりには、喜べることがあるものよ」(p59-60)
★h.パレー叔母さんは病気のスノー夫人にお見舞いを届けていた。人の顔さえ見れば泣きごとばかり言うひがみの強い人で、牛肉のゼリー寄せを持っていくと、きっとチキンの方がよかったと言い、チキンを持っていけば羊肉のスープのほうがよかったと嘆く人であった(p68-69)。パレアナは二度目のお見舞いのときゲームを楽しんでもらおうと「なんだかあててごらんなさい。おばさんは何を欲しいの?」とたずねた。夫人は言葉に詰まってしまった。それまでまったく気づかなかったが、いつでもそこにないものばかりを欲しがる癖がついてしまったので、さて、いまなにを一番欲しいかということをはっきり、すぐ言うとなると、どうしても言えなかった。なにがあるのか、それを見てからでなければ言えない、けれど、なんとか言わなければならないことになった。夫人は「羊のスープ・・・」と言いかけて、やっと自分の胃袋がチキンを食べたいことに気づく。ちなみにナンシーとパレアナは夫人が欲しいというものを食べてもらえるよう3つとも少しずつ用意していた(p82-84)。
★i.パレアナの父が喜びのゲームを思いつくきっかけとなったのは、聖書の「喜びの句」であった。聖書にそういう名がついているわけではない。しかし、「主にありて喜べ」とか「大いに喜べ」とか「喜びて歌え」とかそんなのがたくさんあった。父が特別いやな気持ちの時に「楽しめ」とか「喜べ」というのを数えたら800あった。そしてその800を「喜びの句」と名付けた。彼は喜びの句を勘定してみようと思いついたときから気持ちが少しよくなった。神さまが800回も楽しめとか喜べとかおっしゃっているのは、私たちが喜ぶことを望んでいらっしゃるにちがいない。もっと喜べるはずだ。喜べないのは(牧師として)恥ずかしい。パレアナから喜びの句と松葉杖の話を聞いたポール・フォード牧師は、その夜パレアナの父が喜びの句をさがしたように雑誌の中からここで一言あそこで一行、どこかほかのところでまたひとこまと「はげまし」「長所」「希望」などの句をさがす。そして、次の日曜日に予定していた説教の中身を恐ろしい「警告」から「ただしき者よ、エホバを喜び楽しめ、すべての直(なお)き者よ、喜びよばうべし」と いう800の喜びの句の中の一つに変更した(p195-200)。
★j.喜ぶ内容にはレベルがある。いつでも、どこへ行っても病気に苦しんでいる人たちを見ることになる医師の仕事を、喜ぶゲームを始めたナンシーは「自分が診察する人たちのようでないことで」つまり病人でないことで喜べると考え、パレアナは医師は病気で苦しんでいる人たちを助けることができるからうれしい、と考える(p136-138)。
★k.「少女パレアナ」の続編として「パレアナの青春」が書かれ、その後、二人のアメリカ女流作家によってパレアナ物語が書きつがれ50巻にもなっている(1962年夏現在)。訳者の村岡花子氏も数冊読んだが原作者の2冊にとても及ばないそうである(p284)。ある「ご縁」をいただき「少女パレアナ」を読みました。「なんでも喜ぶゲーム」のことは他からも聞いていたので愉しむというより書評的な読み方をし、メモとして取り上げることになりました。また、bでも触れたように「赤毛のアン」と比べることにもなりました。物語として読むならアンの方がずっとおもしろいと思います。というのは、パレアナには同世代の子供たちがほとんど出てきません。パレアナと大人たちとの物語で、その意味では大人が読む小説で児童向きではありません。タイトルが児童小説っぽいので大人が手を出しませんが、ナンシーやパレー叔母さん、フォード牧師といった大人がパレアナから「気づかせてもらう」小説としてとらえた方がよいように思います。
ところで、喜びのゲームの「喜び」には「模範解答」があるわけではありません。jでナンシーとパレアナの喜びの違いを書きましたがナンシーの考えたことは人形のかわりに松葉杖を送られたときの喜びとよくにています。dで述べたような効用が得られればよいわけで「喜びのなかみ」はさほど重要ではないかもしれません。また、喜びのゲームを続けているとすなおに生きられる、そんな気がします。
★あとがき
今回のメモは分量的に中途半端なものとなりました。言いたいこと、書きたいことはそれなりにあるのですが文章にしようと思うとまとまりません。そんななかでメモらしくなったのがパレアナの話でした。欠点を直すことより長所を伸ばせ、プラス思考で考えろ、物事を前向きにとらえろ、といった主張をされる方があり私も同感ですが、そればっかりを強調されると「できないこともある」と泣き言の一つも言いたくなります(fでパレアナが泣き言を言っていることで救われた気持ちになった読者もいるのではないでしょうか私も安心しました)。人生哲学、信念などと悲壮感を漂わせるのではなく、ゲーム感覚で「なんでも喜んで」みてはどうでしょう。きっと楽しく生きられます。